Archive for January 2008

31 January

光と影

シンガポールは、いわば福建人が作った国である。
建前上は他民族国家ということになってはいるが。

今、チャイナタウンは元より、街のあちこちが旧正月を前にして大いに賑わっている。
肖像権にうるさいディズニーの某キャラクターが中華服を着て堂々と手を振っているのは、中国人のオハコであるところの海賊版という訳ではなくて、次の干支がネズミだからに他ならない。

日本の正月におせちと鏡餅が欠かせないように、春節に必要な品々を人々は我先にと買い求める。
夜ともなれば、どこから湧いてきたものやら、チャイナタウンの細い路地は中華系の人々に埋め尽くされて身動きができなくなる。


さて、少し観察すればわかることだが、この国でいわゆる肉体労働に従事しているのはほぼ例外なく肌の浅黒いマレー人たちである。
工夫とか掃除夫とか、そういう類の労働者たち。
となれば、オフィス街や地下鉄で見かけるビジネスマン風の小奇麗な人々は当然中華系ということになる。

シンガポールは東南アジアの中でも群を抜いて清潔感のある国だ。
ただ、その清潔さは極めて技巧的な印象を訪れる者に与えるのもまた事実だ。

無責任な旅行者風情が偉そうに口出しすることではないが、ここにもヒエラルキーは厳然と存在するのだなあ、と感じた次第である。





18:56:16 | ahiruchannel | No comments |

28 January

シンガポール

インドシナ半島の最南端、千年の夏を過ごす人々の国。
ここはシンガポール。ここは旅の出発地点。

この国からユーラシア大陸をひたすら進んで、いつかイスタンブールに至るだろう、というのが今回の計画だ。

シンガポールに来るのはおよそ10年ぶりだ。
前回は縁あって知人のアパートを間借りして1週間ほど滞在した。
アパートと言っても平均20階建てくらいの超高層住宅群がそこかしこに群生している。
そう、まさに「はえて」いるといった趣き。
南国の青空に突き刺さらんばかりに林立するその風景は、一種シュールですらある。

せまい国土に人が溢れると、人は上へ上へと住家を求めて行くらしい。
人は、というか中国人は、ね。
香港でもだいたい同じような光景を見ることができる。

物価はやたら高い。
目抜き通りには巨大デパートが建ち並び、通りを高級車が行き交う。外国資本のカフェやレストラン、ブティックが軒を連ね、人々は買い物に余念がない。最新のガイドブックに記載されている宿代はどれもこれも2倍近くまで跳ね上がっている。
総じてバックパッカーが長く滞在できる要素は少ない。

しかし、そこはアジア。
ひとたび裏通りへ入れば、きっちりアジアンプライスで食事ができるのだ。表通りの高級店で気取ってお茶を飲んでたって、路地裏ではわずか数ドルで家族連れが大皿をつついている。

アジアだなあ、と感じる瞬間だ。



20:53:15 | ahiruchannel | No comments |

15 January

飛ばずにイスタンブール 再び

「アジア横断」はバックパッカーの間では最も人気の高い旅のモデルルートのひとつに数えられる。コルカタ(カルカッタ)を出発、陸伝いにインド、ネパール、パキスタン、イランなどを経て、アジア最期の地イスタンブールへと至る道程である。

このあまりにも有名なルートを様式として確立したのは沢木耕太郎氏であろう。ハタチの頃、僕は(ほとんどの長期旅行者がそうであると想像するが)彼の作品に心酔し、いつか長い旅がしてみたいと憧れたものである。

それから6年後、911の翌年、ネパールのカトマンドゥからイスタンブールへと「アジア横断」を行った。

アフガニスタンの空爆がいまだ続いていたし、イラク近辺に米軍が着々と集結を始めており、連日きな臭いニュースが流れていたのを覚えている。僕の旅程には直接関係なかったが、バリ島の大規模なテロで観光客がたくさん死んだ。パキスタンではついに自分以外の外国人旅行者を見かけなかったし、イランでは反米デモに遭遇した。

しかし、僕は、たいしたトラブルに巻き込まれる事もなく(むしろその逆、危険とされていたパキスタンやイランでは何度も親切にしてもらった)進んで行くことができた。

イランとトルコの国境では、ノアの方舟が流れ着いたとされるアララット山の偉容を前にかつてない昂揚感を感じた。ついにトルコに入るのだなあと感慨深かった。
カッパドキアの奇岩の間をバイクで走った時は、すっかり興奮して何度も意味のない叫びをあげた。自身の旅の遍歴の中で、カッパドキアの風景はベストオブビューの3位以内に確実に入る。
イスタンブールの安宿には気のいい日本人パッカーが集まっており、相部屋の空気は修学旅行のそれだった。

トルコは僕が最も好きな国のひとつであり、多くの美しい思い出を与えてくれた国であるのだが、アジア横断中に堆積した疲弊がとても良い形で癒されたことは大きな要因であろう。長く、時には辛い旅の果てに辿り着く場所として、トルコはまず理想的だと言える。飛行機で飛んで行ったとしてもかの地の素晴らしさが些かなりとも減じる訳ではないが。

飛ばずにイスタンブール。

これはもちろん有名な歌謡曲のもじりだが、「飛ばずに」というところがこのルートのまさに要諦である。
アジアの東から西の果てまで、飛行機を使わず、あくまでも陸路で進んで行くこと。
世界のほとんどあらゆる場所が物理的なケーブルでつながり、全ての情報が同時的に共有されるこの時代でも、その旅程には旅行者の憧れと不安をかき立てるものが少なからず含まれていると思う。アーリー70'sのミッドナイトエクスプレスが遥か遥か遠くへ走り去ってしまった現在においてさえも。


今回、僕は、再びアジアの東から飛ばずにイスタンブールまで行こうと考えている。それもシルクロードを辿って行く、もうひとつのアジア横断を。出発地点はシンガポール。


さて、どんな旅になることやら。


02:54:43 | ahiruchannel | No comments |

12 January

ジャーニイ・ノン・ストップ

ミュージック・ノン・ストップ

曲が終ってもまだサウンドは続いているという感覚、概念がジョン=ケージ直系の現代音楽家達によって提唱されているそうな。
「音楽はそもそも止まったことがない」という発想へ世の中は向いつつあるのだとか。
これはクラブへ行ってみるとよくわかる。DJによるノンストップミックスがこれを断続的に体現している。

では「旅はそもそも止まったことがない」という発想は成り立つだろうか。

ジャーニイ・ノン・ストップ

ただのこじつけか?
しかし僕はハタチの頃から旅ばかりしている。日本にいればそれなりに真面目に働くし、一見まともな社会生活を営んでいるように思えるのだが、心の奥の方では常に旅の空への憧憬があった。そして、3〜4年のサイクルで思い出したようにふらふらと旅立つということをくり返してきたのだ。

旅と旅の間にブランクはあるのだが、それは途切れながらもずっと続いているという感覚がある。

例えば空港の免税店から漂う芳香に鼻腔を刺激された時。
例えばバンコクの安宿の薄暗い部屋に荷物を投げ出した時。

そんなふとした瞬間に、これまでの旅の記憶は鮮やかに蘇り、ああ俺はまたここへ戻ってきたんだなあ、と感慨にとらわれる。


なんて書いて自己正当化を図っておる訳です。
何の事はない。ただただ真人間になり損なったというだけの話。

これは宿唖か因業か。
ひとついつ帰るかわからないような長い旅に出てみようと思う。



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