30 January

上を向いてゆっくり歩こう

隣席の韓国人と思しき若者が尖った声をあげる。

おい、オーダーした、すでに、30分!

かなり怪しい英語だったが意味は十分に伝わる。
確かに彼らが料理をオーダーしてからかなりの時間が過ぎていた。

その時、僕は道端に簡易テーブルと椅子を出しただけの路上食堂で、獅子のロゴの入ったビール瓶を傾けていた。
旅行者で溢れるカオサンロードから一本隣の路地。
向かいの店からはライブ演奏が聞こえてくる。
ギターの伴奏にあわせて、タンバリンをふりながら女の子が「クロスロード」を歌っている。
ここ何年か、カオサン周辺では生演奏を聞かせる食堂がずいぶんと増えた。
ホテルカルフォルニアだとか、ティアーズインヘヴンだとか、そういう誰でも知っているような無害で偉大な名曲が至るところで毎夜繰り返される。

狭い路地をタクシーやトゥクトゥクがひっきりなしに行き交い、少数民族の衣装をまとった老婆が蛙の鳴き声が出る玩具を売り歩く。
両足のない男が地面をはいずりながら客にお恵みを求めているかと思えば、スピーカーとアンプを背負った盲目の男がタイ演歌を歌いながら徘徊している。
ビールを飲みすぎた連中が馬鹿声を張り上げて笑っている。
路上にガスボンベとコンロを置いただけの簡易厨房から煙がもうもうと上がる。
いつもながらの混沌とした、いかにもカオサンらしい風景である。

あと何分でできるんだよ?
10分以内に持ってこなかったら金は払わないからな!

二人組の韓国人の眼鏡をかけた方がウェイトレスの女の子に真剣な面持ちで怒鳴る。
彼女は彼女で、仕事にかける熱意や誠意などは微塵も持ち合わせていない様子で、10分ね、オーケーオーケーと軽く受け流す。

僕はそんな光景を微笑ましい思いで眺めていた。
いかにも旅慣れしていない様子が新鮮でもあった。
彼はまだシステマティックで効率優先の韓国時間を振り切れていないのだ。
せっかくリラックスを求めてタイにやってきたというのに。


いや、僕もまた日常の雑事に追われ、知らず心身をすり減らしながら生きている一人なのかもしれない。
タイに来てからというものやたらと人にぶつかりそうになるのだ。
狭いソイを人ごみを掻き分け掻き分け歩いていると、決まって誰かが道をふさぐ。その度に軽い苛立ちを覚える。

歩く速度が周りと違うのだと気づくまでにしばらくかかった。
タイの人々は誰も急いでいない。
いや、中には急いでいる人もいるのだろうが、僕とは歩き方が根本的に違う。
せっかくリラックスを求めてタイにやってきたというのに。

おい、あと2分だぞ!
自らの腕時計を示す韓国人を横目で見ながら、僕は思う。
自分だったら何分待たされたら怒り始めるだろうか。
1時間くらいが限度だろうか。

いや、僕だったらウェイトレスを怒鳴りつけるような真似はしないな。
黙って店を出て、隣の店で注文し直すだろう。
どうせどこの店でも同じ様なものしか出していないのだ。

焦ったっていい事なんか何もない。
明日からはもっとゆっくりと歩こう。
そう決める。


それにしても、頼んだ料理が全然出てこないよな。



17:22:05 | ahiruchannel | No comments |

23 April

景 19 カオサンロード



チャオプラヤ河船着き場のカフェ。
客はほとんどいなかったが、アイスモカが出て来るのに20分かかった。
暇な時間というのはバックパッカーの基本的な資質である。



焼きそば屋台の母子。
女の子が可愛かったので、昼食はここで。



タリンチャン水上マーケットの船上厨房。
焼き鳥の香ばしい香りが立ちこめる。



99バーツの水路ツアーはみっちり3時間。
狭い船内、固い木の椅子、照りつける太陽。
ハイライトも何もなくただひたすら水上を行く。
尻が痛くなった。



カオサンロード。
バックパッカーにとってバンコクと言えばここ。
旅行者に必要な事も、特に必要でない事も、あらゆる事がこの通りで済ませられる。



付近の物価は年々じりじりと上昇している。
十年前はこの焼きそばも半額以下だったと記憶している。



ワットチャナソンクラム境内。
カオサンの喧噪からわずか5メートル向こうにはこんなにも静かな空間がある。



路上にテーブルを並べた安食堂。
僕はこの食堂に10年以上通っている。



皮がパリッとしたタイ式バナナクレープのロティ。
練乳と粗目の砂糖をたっぷりかけていただく。



カオサンの魅力とは何か?
それは誰もがアホになれる事である。

何もしない。何も考えない。
流れて行く時間を横目で見やりながら、ただただビールを飲んでいればよい。



04:53:35 | ahiruchannel | 2 comments |

06 January

オーストラリアの憂鬱

昨日の夕方の事。
仕事場への道を急いでいると、ふいに男が僕の行く手をふさいだ。

「金、くんねぇか?」

呂律の回らない口調、ふらつく足取り、濁った眼。
肌の色は黒褐色、鼻がつぶれ、歯はヤニで汚い。
身にまとった衣服は古びて薄汚れている。
見ると、男の後ろには同じように汚い身なりをした若い男女が車座になって座っている。
同じように肌は黒い。酒を飲んでいるのか、それともある種のドラッグか、陶然となって現実感を失っているようだ。
正直言って、あまりかかわり合いになりたくない連中である。
発している雰囲気がやばい。

僕は一言「No」とだけ呟いて、足早にその場を去った。
彼らは別に文句を言うでもなく、追いかけて来るでもなかった。

この人達がいわゆるアボリジニである。
諸説あるが、このオーストラリア大陸に12万年前から住んでいたとされる。
ヨーロッパ人が彼らの伝統的な生活様式を根本から破壊してしまう18世紀まで、深い孤絶の内に長い長い夢を生きてきた人々だ。
ドリームタイムとはアボリジニ達の神話体系の総称だ。
その文化は呪術的かつスピリチャルな要素が濃く、ユニークな描画や巨大な筒状の楽器ディジリジュなどはつとに有名である。

先住民の受難について簡単に説明しよう。
数万年に渡って永々と独自の生活を続けて来たアボリジニの住む大陸を、ある時船で乗り付けたヨーロッパ人が「発見」した。
まずオランダ人、そしてイギリス人がやって来た。
彼らは先住民を駆逐し、殺害し、女を犯し、土地を簒奪し、沿岸部に住み着いた。
かつて南北アメリカ大陸で行なわれた事が、そっくり同じように繰り返された。
先住民は欧州人が持ち込んだ病原菌でばたばたと倒れた。免疫がなかったからだ。
アルコールも深刻な問題だった。元々飲酒習慣のなかったアボリジニ達の身体は徹底的に破壊された。
スポーツハンティングと称して、アボリジニを狩る事も行なわれた。
19世紀半ばには法律によって「狩猟」が認められた。
子供達を大量に拉致し、施設に入れて無理矢理「進んだ教育」を受けさせた。
民族の血を絶やす為だったとも言われている。
実際、現在では混血化が進み、純粋なアボリジニは極端に少なくなったとされている。

その後時代が下り、この国にも民主主義が根付くや、先住民に対する数々の悪行に対して非難の声が上がり始めた。
国家元首が公式に謝罪し、部分的に土地の返還が行なわれ、都市部のアボリジニに対する保護政策が採られた。
しかし、問題は山積みだ。
働かなくても生きて行けるようになった都市部のアボリジニは、飲みつけない酒を飲んで、そこら辺でへべれけになっているという状態が現出した。
アボリジニの就職を優遇する制度に白人達が「逆差別だ」と声を荒げるという事態も起きた。
歴史に起因する構造的な問題なので、首相が謝ったくらいでは何も解決しないのだ。

現在、先住民の末裔達の一部は、路上で昼日中から酒を飲み、酩酊し、大声で卑猥な冗談を言い、時に通行人に金をたかるという浮浪者同然の生活をしている。
皆が皆そうという訳ではない。中には自立して立派に生きているアボリジニもいる。
だが、街のそこかしこで見かける「ちょっとやばめ」の人々にアボリジニが多いというのは事実である。
当然、彼らは犯罪にもある程度コミットする事になる。
この公園は夜になるとアボリジニのたまり場になるから絶対に近寄っちゃいけないよ、というような「普通の」オーストラリア人のアドバイスを受けた事も数知れない。
ブーメランや、絵画や、ディジリジュが、アボリジニ的なアイコンとして広く認知されているのと同じように、現実の彼らは社会のお荷物であり、厄介者であり、犯罪者予備軍として認知されている。
要するにヒエラルキーの最底辺にいるのが彼らなのである。


ある時、イギリス系オーストラリア人の家へ招かれた。
ホストマザーは60近い歳で、大層酒好きだった。その日は少し飲み過ぎていたのだろう。
初対面の僕に対して問わず語りに「現代オーストラリアの抱える憂鬱」について話し始めた。

「最近はオーストラリアにもアフリカや中東から移民が増えて来たけれど、本当はあんなのに来て欲しくないのよね。
彼らはレイジーだし、治安も悪くなるし。
アジア人はオーケーよ。特にあなた方ジャパニーズはね。
真面目に働くし、有能な人が多いし、この国に貢献してると思う。
でもブラックピープルはダメ」

この人は多分酒が入っていなければ、こんな発言はしなかったはずだ。
これは明らかにポリティカリーインコレクトである。
マルチカルチャリズム(多元主義)を標榜する現代オーストラリアにおいては、公式にこんな見解を示せば間違いなく袋だたきである。

しかし彼女は酔っていた。

「そういう奴らのせいでね、オーストラリアの古き良き伝統もどんどん失われていくのよ。
古き良き友愛関係(マイトシップ)がね。
そうそう、ダメといえばアボリジニという人種は、もう本当にクソッタレよね。
クソの役にも立たない、最低の人種」

彼女はpeopleではなく、はっきりと人種(race)という言葉を使った。
レイシズムのレイス。

「数年前に中国人の留学生の女の子が殺されたのよ。
バスを降りたらアボリジニの男がつけて来て、彼女を茂みでレイプしてから殺しやがった。
奴らはね、二言目には我々は虐げられた民族だ、我々の土地を返せ、とこう来るのよ。
首相が謝罪して、十分な保証を受けているにも関わらずに。
だいたいね、この国はイギリスが植民地にしたからここまで立派に発展した訳でしょ。
近代化に成功したのは私たちのお陰なのに。
もしそうでなかったらね、日本が占領して酷い事になってたはずよ。
日本がかつてアジアでやった事を知ってるでしょ?
それかクソッタレオランダ人が占領してたって可能性もあるわよね」

僕は呆れて言葉もなかった。
論理の飛躍も凄まじいし、あまりに身勝手な歴史認識である。
というか、この人の場合イギリス系以外は全部ブルシットなのかもしれないけど。

確かに現代アボリジニの中には不逞の輩もいる。
街で見かけるやばいめの人々はただでさえ目立つ上に、それがアボリジニである確率が高いので、余計に彼らに対するイメージが悪くなっているのだ。
彼らが都市犯罪の一翼を担っているのもある程度事実だろうけど。

でもね、そりゃあんまりだ。
あんた方にそんな事を言う資格はない。
ファーストフリートがやって来るはるか以前から、ここに住んでいたのは彼らなのだ。
他人の家に勝手にやって来て好き放題やったのはヨーロッパ人の方なのだ。
本来の意味での古き良きオーストラリアの伝統を破壊したのはあんたらだ。
30万人ほどいたアボリジニも、19世紀半ばには実に十分の一にまで激減してしまった。
こんなのは誰がどう考えたって犯罪である。巨大な犯罪だ。10代かけて償ったってまだ足りないだろう。

しかし、僕を最も暗澹たる気持ちにさせたのは、彼女の超ラディカルな意見は個人的なものではなく、イギリス系移民のごく一般的な本音なのではあるまいか?という事だ。
僕はそれまで、ヨーロッパ系オーストラリア人は歴史的にはアボリジニに悔悟と哀悼の念を抱きつつも現実には彼らを疎んじている、というねじくれたジレンマに陥っているのだと思っていた。
でも本当はそうじゃないんじゃないか。
彼らは全く反省なんかしてないし、実を言えば他の有色人種の存在も疎ましく思っているのではないか。
白豪主義の時代からなんにも変わってないんじゃないのか。

帰り際、彼女は「またいらっしゃいね、ダーリン」と言って僕をぎうううっと抱きしめ、派手なキスをしてくれた。
いい人なんだか悪い人なんだかよくわからない。多分いい人なんだろうけど。


ところで、僕が冒頭でアボリジニの男にお金をあげなかったのはちゃんと理由がある。
僕はこれまでにアジアやヨーロッパで様々な物乞いに何度も何度もを声をかけられて来た。多分声をかけやすいのだろう。
相手が小さい子供だったらだいたいあげる。あげたって無駄な事はわかっているけれど。
成人の場合はまずあげない。働けよお前、と思ってしまうからだ。
あげない事で彼らの勤労意欲が刺激される訳ではない事はわかっているけれど。

僕がとっさに取った行為が正しかったのかどうかはわからない。
彼らがアルコールに耽溺するのは構造的な要因によるものだから。
でも、僕が酒代をあげた所で何かが解決するとは到底思えない。
そして、お金をあげてもあげなくても僕は必ず虚しい気持ちになる。自己嫌悪に陥る。
結局のところ、魚が一匹跳ねたところで大河の流れは変わらないのだ。


だから、まあ、昼間っから酒飲んでないで働いてください。
僕だって働いているのです。


21:05:51 | ahiruchannel | 1 comment |

30 December

景 18 バリ



「雨雲が来る」



「宿屋」



「洗濯屋」



「南国情緒」



「裏道」



「神獣」



「モンキーフォレスト」

02:57:35 | ahiruchannel | No comments |

06 December

景 17 比叡山



「登山車」



「本日快晴」



「一念」



「新緑」



「あけいろ」



「延暦寺」



「涼」



「京都市街」



21:58:28 | ahiruchannel | No comments |