Archive for April 2008

28 April

週刊金曜日責任編集 行ってはいけない! 5

翌朝。
チェックアウト時には昨日受付をしてくれた女の子はおらず、ババアが二人でくっちゃべっているだけだった。

バスの時間まで荷物を置かせてもらっていいだろうか?
そう訊くが、返ってきたのはまたしても冷徹で簡潔な「ニェト」。
あとは僕を無視して二人してお喋りの続き。

ちょっとその辺のすみっこに置かせてもらうだけじゃないか。
誰にも迷惑はかからないだろう。
しかし、ここでは全てがロシア式。
ホスピタリティのかけらも持ち合わせない人々なのだ。

朝っぱらから胸クソ悪い。
国境行きのバスは夜行なので、仕方なく荷物預かり所に預ける。
昨日は500テンゲだったのに、今日はなぜか600テンゲ。
どうしてそうなるんだ?
こういう細かいことにいちいち腹が立つ。


国境へは翌朝の夜明けに着いた。

手持ちのテンゲをウズベキスタンの通貨に両替し終わると、早速タクシーの客引きが声をかけてきた。
国境をうろうろするいかがわしい連中と関わり合いになどなるべきではなかったのだが、僕は度重なる災厄ですっかり冷静な判断力を失っていた。

首都のタシュケントまで言い値は15000ソム。
約11$半。それを4500まで値切った。
相手は三人組のババアとポーターのような若い男一人。
いずれもカザック人だと言う。
ポーターは僕の荷物をひょいと持ち上げると、どんどん運んで行ってしまった。イミグレーションオフィスの柵の上を僕の荷物だけが越えて行く。

中国-カザフ間の国境と同じく、ここでも人が大挙して押しかけ、皆が皆狭いゲートに突進を繰り返している。
誰も列を作るということを知らないのだ。
押し潰されそうになった女性の悲鳴があちこちで上がり、門番のポリ公どもの怒号が飛び交う。
阿鼻叫喚の修羅場である。

僕は前回の教訓を活かして、財布とパスポートの隠し場所を両手でしっかりガードしつつ人の群れへと飛び込む。
潰れ死にしそうになりながらも、何とかカザフのイミグレは抜けた。
とりあえず出国はできた模様。
続いてウズベク側の入国審査と税関だ。
ポーターの男が荷物を持って待っていてくれた。
さあ行こうと身振りで示す。

ウズベク側のパスポートコントロールも黒山の人だかり。
ポリ公が、貴様らちゃんと並ばんかあ!と怒鳴るのだが、誰も聞いちゃいない。
我先にと人の壁へ身体ごと突撃をかけている。
この時点でかなり気力が萎えてしまっていたが、人が途切れることなどない。
勇を鼓して壁へ向かう。

人を押しのけかき分け、パスポートコントロールのカウンターにパスポートを放り込んだ。
まるで何かのスポーツみたいだ。
ゴール!1点ゲット!!

が、ポリ公はそれを一瞥したっきり全然手に取ってもくれない。
外国人のものは手続きが面倒くさいからなのか、地元の人々のパスポートをろくに見もせずに機械的にスタンプを押してゆくだけだ。
そこで10分ばかり立ち往生。
人の流れが少し途切れ、ようやく僕のを開いてくれたと思ったら、今度はビザのページを前に熟考。

早くスタンプを押せよ、とろくさい奴だなあ。

ポリ公がビザを指差し、何かを言ってきた。
ビザに問題があるようだ。
奴は手許にあったカザック人のパスポートを開き、僕のビザのページと並べて見せた。

いいかい、同じウズベクビザだ。

僕はうなずく。

領事館のスタンプが押してあるのも同じ。

ああ、その通り。

そして、こっちのビザには領事のサインがあるが、お前の方にはない。

うむ、確かに。
僕のビザには領事のサインが抜けている。
阿呆の領事がうっかりし忘れたのだろう。
だが、それがどうした?

ゆえに、お前は入国できない。

ポリ公は僕にパスポートをつき返した。

はあ?
何を言ってるのかわかってんのかこのクソッタレが!
そんなもん、お前んとこの領事がボケナスなだけだろうが。
俺はちゃんと15$払って(袖の下50$も取られて)ビザを受領したんだよ。
領収書だってある。これは正規の手続きなんだ。
こっちに落ち度は全くないんだよ。
頭使えばそれくらいわかるだろうが?
領事もポリ公も阿呆の集まりなのかお前らは?

という意味のことを、もう少し穏当な表現で僕は主張した。
しかし英語はほとんど通じていない。
そのうちにゲートが開いてまた人が雪崩れ込んできた。
ポリ公は我関せずといった顔で再び地元民のパスポートをさばき始める。


コーニョ!
悪い予感はやっぱり当たってしまった。
呪いは依然解けていなかった。

荷物をウズベク領に運び終えたポーターが戻ってきて訊く。
どうしたんだ?早く入国手続きをしなよ。
僕はビザのページを見せる。
領事のサインがないと駄目だとあいつが言ってる。

ポーターがポリ公に声をかける。
スタンプを押してやって下さいよ、とでも言っているのだろう。
ひとしきり彼らの間でやり取りがあった後、ポリ公はどこかへ電話をかけた。
上の指示を仰ぐのだろうか、我々はポリ公に促されてオフィスの本館へ向かう。
途中、ポーターが、カネを用意しておけという意味のことをさりげなく僕に言った。

何の為のカネだよ?
こっちに責任はないだろうが。

いいから、いいから、俺に任せときな、という感じで先に立って歩くポーター。
どうにも胡散臭い野郎だ。

国境警備所の本館前で随分待たされる。
ポーターはその間、そこら中にいるポリ公や兵士に片っ端から声をかけ、握手をし、ご機嫌を伺い、必要に応じてタバコの箱を差し出し火までつけてやってと、小ざかしく立ち回った。
笑顔で応じる者、素っ気なく通り過ぎる者、様々。
中には冗談半分にポーターにパンチや蹴りを入れるポリ公もいる。
ポーターは蹴られてもヘラヘラと笑うばかり。
えへへ、やめて下さいよ、旦那。

国境で勤務するポリ公ども全てに顔をつないで、何かの時には便宜を図ってもらうつもりなのだろう。
営業活動に余念がない。
その下卑た笑いを見ている内に僕は気分が悪くなってきた。

やがて、僕のパスポートに難癖をつけた阿呆のポリ公が出て来て、自分の肩を指差した。
お偉いさんが来て判断してくれるから、もう少し待ってろということらしい。
程なくして、肩に星をいっぱいつけたハゲ頭のポリ公が登場。
ポーターはすっ飛んでいって握手を求めた。
二人の間で短いやりとりがあり、その後、僕を残して建物の中へ消えた。
またしても無為に時間が流れ去る。

10分以上待っただろうか。
二人が出てきて、ハゲが僕にパスポートを返してくれた。
さあ行こうとポーター。晴れやかな笑顔で去って行くハゲ。
僕のビザに不備がないことが確認できたのだろう。
入国審査場に戻りパスポートを出すと、今度はちゃんとスタンプが押された。
ようやく入国できた訳だ。

税関への通路を行こうとすると、ポーターがマネーと言ってきた。
ああ、そうかい。
まあチップくらいはあげなければ駄目かもな。
いくらだ?と訊くと、指を5本上げる。
ふうん、5$か。

だが、5$紙幣を取り出しても奴は首を振るばかり。
そして、オフィスの本館の方を指差しながら盛んに何かをまくし立て始めた。
僕が理解できないでいると、今度はスタンプを押すジェスチャーをし、しまいに50$紙幣を取り出して僕に示して見せた。
つまり、ポリ公に袖の下50$をつかませてスタンプを押させたと言う訳だ。

またしてもロシア式のご登場。
ポリ公も、薄汚いポーターも、領事も、全員が地獄行きのクソッタレどもなのだ。
呪いはやはり解けていない。

カネなんかねえんだよクソッタレが!

僕はそう怒鳴ったが、もちろん無駄だ。
周りでことの成り行きを見ていた連中も、払うしかないよという意味のことを言う。
ポーターを責めても仕方ないよ。
ここでは賄賂は物事を円滑に進める為のごく日常的な手段なんだからね。

他にどう仕様がある?
何度も言うが、ここは彼らの土地であり、これは彼らのゲームなのだ。
こちらはルールに従う以外にない。
腐りきった警察機構と、国境に跳梁するいかがわしい連中。
どちらもカタギじゃないという所が始末に終えない。

僕は泣く泣く50$を払った。
これで所持金がまた減った。
ウズベキスタンには入れても、それ以上旅を続けるのはもう無理だろう。
大変なことになってしまった。

ハラショー!
じゃあ、後はこいつについて行きな。
そう言ってポーターはカザフ側へ帰って行く。

その場にいた別の男が僕の荷物を持ち上げ、じゃあ行こうかと促した。

タシュケントまでタクシーだね?

ああ、そうだよ。4500ソム払ってある。

50$だ。


妙なことを言う奴だ。
50$は今ポーターに払ったよ。あんたも見てただろ?

ニェト。
タクシー、50$。タシュケントまで、50$。

はあ?
一体何の話をしてるんだ貴様は?
さっき国境の向こうでババアに4500ソム払ったんだよ!
国境の向こうで、ちゃんとカネをだな…

国境の…

僕の声が途中で小さくなったのは、大声を出すことに疲れたからではない。
自分が本当の阿呆になったような気がしたからだ。
ここ数日、頭がまったく回っていない。
一体どこの世界に国境を越える前にタクシー代を支払う馬鹿がいるというのだ?
料金を支払うのは当然、目的地に着いてからだ。
そんなのはもう常識以前の話ではないか。

幸い、4500ソムは大した金額ではない。
3$半くらいで、それが相場だということも前もって調べてあった。
だが、問題は損失額ではない。
自分がそんな初歩的なミスを犯したことが信じられなかった。
次々と災厄に見舞われて、完全に落ち目になっているらしい。

僕は無言で男から荷物を取り返し、税関へ向かった。
もう駄目だなこの旅は。

税関では申告書を2枚提出しなければならないのだが、全てロシア語表記で皆目見当がつかない。
普通英語併記くらいあるだろうが、と思うのはこちらの勝手というものだ。
ロシア式を甘くみてはいけない。

僕は辺りを見回し、ネクタイを締めた比較的まともそうなおじさんに当たりをつけた。

失礼ですが、英語はできますか?
僕はロシア語がわからないので、この申告書を翻訳して欲しいのですが。

おじさんは英語がわからないようだったが、パスポートを貸してごらんなさいと言って、結局2枚の申告書を全部代筆してくれた。
随分時間を取らせてしまったはずだが、お礼なんかいいんだよ、気をつけて旅をしなさいという意味のことまで言ってくれた。
呪われた国境での唯一の救いだ。
良きことがあり、悪しきことがある。

税関に申告する僕の所持金額は425$だった。
カザフに入る前は1000$以上あったのに。
飛ばずにイスタンブールどころか、これじゃタシュケントでホームレスだ。

ウズベキスタンへ入国したその日から、僕は日本からの送金方法を調べる為に、文字通り駆けずり回った。
彼国はまだまだ発展途上にある上に、旧ソ連ときた。
要は古い習慣が残る現金主義のバザール型社会なのだ。
あちこち訊いて回るにつれ、海外からの送金を受けるのは難しいということがわかるだけだった。

長年旅を続けて来たが、かつてないピンチだった。
目の前が暗くなるというのは修辞的誇張ではない。
時々、本当に視界が暗いような気がした。
節約の為に何も食べてなかったからかもしれない。

しかし、インターネットという革新的なツールと、家族友人の協力のお陰で、数日後になんとか送金を受けることができた。
旅は無事に再開され、その後悪いことは何も起こっていない。
どうやら呪いは解けたようだ。

送金方法を訊く為に訪れた日本大使館で、領事のKさんはこう教えてくれた。

ウズベキスタンは行政もその運用も本当にいい加減でしてね。
予測不可能なトラブルがいっぱい起こるんですよ。
日本みたいな先進国では信じられないようなことが平気でまかり通るんです。
そういうの、我々大使館の人間は「ウズい」って言うんですよ。
ははは。
「ほんとウズいよねこの国は」っていう風にね。


領事さんの言葉通り、僕はウズベキスタンでもロシア式を各所で味わった。
出国時にまたビザにサインがないと言って揉めた時にはもう笑うしかなかった。
どこまでウズいんだ貴様らは?


これにてロシア式呪いの物語はおしまい。

読者のみなさん。
カザフスタンにだけは…

行ってはいけない。



















23:22:23 | ahiruchannel | 4 comments |

24 April

週刊金曜日責任編集 行ってはいけない! 4

宿に引き返し、もう一泊させてくれと女将に申し出た。
レギストラーツィヤが出来てないそうなんだ。
明日出頭しなきゃいけない。

ニェト。
彼女はあっさり言った。
この一言であらゆる事象を簡潔に、かつ的確に処理するのがロシア式だ。
ニェト。部屋はない。それだけ。


あのなあ、ちょっと言わせてもらうけど、そもそも登録ができてなかったのは、あんたらがパスポートを預かっておきながら何にも教えてくれなかったせいでもあるんだよ。
10日間もレギストラーツィヤができてないパスポートを手許に置いておきながら、一体何やってたんだ?
もうひとつベッドを確保してくれるくらいはしてくれたっていいんじゃないか。

しかし英語は通じない。
ニェト、女将は繰り返した。

なんてことだ。
この国はクソッタレの集まりじゃないか。
外は既に暗く、今から市内へ戻って宿を探すことを考えただけでうんざりした。
仕方なく、バスターミナルに併設された宿泊所へ向かう。
空いているのは3500テンゲの部屋だけ。
ポリ公への袖の下と合わせて70$が吹き飛んだことになる。
つつましく、1日15$で過ごした日々は何だったんだ?

今度の部屋にはさすがにシャワーはついていたが、蛇口をひねっても湯は一滴たりとも出ない。
30$も取られてシャワーひとつ浴びられないのか。
でも、僕は心底疲れきっていたので、言葉の通じないフロントに文句を言う気力は残されていなかった。
思えば今日は何も食べていない。
全てが悪い方へ悪い方へと転がっているような気がする。


翌朝。
8時に宿を出て、バスで市内へ向かう。
昨日オランダ人にガイドブックを見せてもらって、オヴィールの営業は9時からだと確認してある。
午前中のうちにカタをつけて、正午前に宿に戻りチェックアウト、そのままバスで国境まで移動する。
そういう予定だった。

だが、オヴィールに着いて早速予定は狂う。
9時になっても業務は一向に始まらない。またしてもロシア式か。
何だかカザフに入ってからこんなことばっかりしているようだ。
特にこれといった理由もなく、何かを延々と待つ。
待っても目的が果たせたないこともしばしば。

1時間が無為に流れ去り、10時近くになってようやっと業務開始。
ポリ公の肩には星が、ひい、ふう、みい、4つも5つもある。
下衆な門番と違ってかなり位がお高くていらっしゃるようだ。
キャリアの腰かけ組といったところだな。
僕はパスポートのコピーと登録代金745テンゲの領収証を持って窓口へ並んだ。
登録申請をする外国人は多いらしく、部署内は人であふれ返っている。

女性の係官がつたない英語で言う。
登録期限を超過しています。
料金窓口で罰金22000テンゲを支払ってから、もう一度来て下さい。

は?
にまんにせん?

僕は聞き間違えだと思って、料金を確認した。
あの、もう一度。おいくらですって?

22000テンゲです。

いや、ちょっと話を聞いて下さい。
そもそも宿の連中がですね、僕のパスポートを…

これは、法律です。はい次の方。
彼女は僕に書類一式を押し返した。

取りつく島もない。
加えて、込み入った英語が通じるとも思えない。
罰金額が想像をはるかに超えて高かったことに僕は面食らってしまった。

だって誰も教えてくれなかったじゃないか。

その通り。誰も何も教えてはくれない。
でもお金はきっちり頂きます。
それがロシア式。

もちろんそんな大金は持ち合わせていない。
銀行へ出向いてトラベラーズチェックを換金する必要がある。
銀行へと急ぐ。
アルマトゥは北から南へ傾斜しており、銀行は街の真南にあった。
急ぎ足で歩いても、坂道なのでなかなか進まない。
太陽が照りつけ、汗が噴き出し、喉がひりひりと痛んだ。

俺は一体こんな所で何をやってるんだろう?
もういっそのこと知らん顔して国境へ向かえばいいんじゃないか。
どうせ罰金を取られるなら同じことだ。

いやいや、ロシア式をイヤという程味わっただろう。
役所で登録手続きをして来いと言って追い返されたらどうする?
国境では何が起こるかわからないんだぞ。

銀行でなけなしのチェックを換金する。
残りのチェックは3枚、手持ちの現金と合わせても500$くらいにしかならない。非常にまずい事態になった。

時計を見ると11時過ぎ。
一旦宿へ帰ってチェックアウトする必要がある。出直しだ。
バスに乗って市外へと引き返した。

荷物を取りに部屋へ入ると、風呂場から水音が聞こえる。
ドアを開けると、湯気が僕の顔に盛大に吹きかかった。
洗面台からも、シャワーからも大量の湯が流れ出ているのだ。
当然床は水びたし。

くそっ!何なんだこれは?
昨日はまったく湯が出なかったのに。

フロントに飛んで行って、大変なことになってるぞ!と叫んだ。
受付係のババアがバスルームの惨状を見るや、非難がましい目で僕を睨んだ。

あんた、蛇口をちゃんと閉めなかったの?ええ?

冗談じゃないぞ、何を言ってやがるんだこのクソッタレが!
昨日はお湯なんか一滴も出なかっただろうが。
僕は怒り心頭で宿を飛び出した。

荷物の一時預かり所を探すのにまた散々苦労する。
例によって例のごとく、看板が出ていないのだ。
もう、このロシア式には心底うんざりだ。
預かり賃は500テンゲもする。極力出費を抑えなければいけないのに。

またバスに乗ってオヴィールへと引き返す。
言われた通り、両替屋で22000テンゲを作った。

建物中はがらんとして、午前中の喧騒が嘘のように静かだ。
申請する外国人も、オフィサーも皆姿を消していた。
時刻は13時。おそらく昼休みなのだろう。
僕は一人だけ暇そうにしていた当直のポリ公を見つけて訊いた。

業務の再開は何時からですか?15時?

レギストラーツィヤ?
ポリ公が訊き返す。

ええ、そうです。

ニェト。

は?

ニェト。レギストラーツィヤ、今日は、ニェト。

だって、午後も業務はあるでしょうが。

英語は通じない。ポリ公は手許の卓上カレンダーを示した。

今日は金曜日だね?
レギストラーツィヤの申請は今日もう終わり。
明日は土曜日、休み。その次、日曜日も休み。
月曜日の朝10時、レギストラーツィヤしにおいで。


クソッタレが!
どいつもこいつもクソッタレだ!
俺がジョージブッシュだったら、全ての核弾頭をこの国目がけてぶち込んでやるぞ、クソッタレどもめ!!



どうしてこんな散々な目に遭わなければならないんだ?
僕はただシルクロードを旅したいと願う罪のない一旅行者なのだ。
おたくらの国で働くつもりも、テロを起こすつもりもない。
隣国のビザが欲しくてちょっと立ち寄っただけだ。
なのに、賄賂だ罰金だと言っては人から金をむしり取る。
こんな仕打ちを受けるようなことを僕はしたのか?
誰にも僕をこんな風に扱う権利はない。全くない。
聞こえたか?クソッタレめ。

僕はそう訴えたかった。
しかし無駄だ。
何度も言うように、ここは彼らの国であり、これは彼らのゲームなのだ。
ルールはこちら側にはない。
そんな所へ、何も知らずにノコノコとやって来たのは他ならぬこの僕だ。

後悔「役に」立たず。


次の問題。
今夜、明日、明後日の宿を確保しなければならなくなった。
またまたバスに乗って市外へ。今日だけで何往復してるんだまったく。
10日も泊まってやったというのに、女将は今日もにべもなく言った。
ニェト。
少しくらい惻隠の情というものがないのか?この因業め。
ロシア人は長い長い冬の間に心が凍りつくのだろうか。

バスターミナルの宿泊所でもニェト。
どこへ行っても、何を訊いてもニェト、ニェト。
もう沢山だ。

僕はターミナルのベンチに座ってうな垂れた。
今日はここで夜明かしだろうか。
随分長い間何も食べていない気がする。

15分くらい途方に暮れた後、僕は立ち直った。
そうだ、初日にどうしても見つけられたかった第一候補の宿はどうだろう。
この2週間余りで、僕もロシア式の何たるかを少しは学んだ。
看板も出ていない、まったくそれらしくない建物が案外目的地だったりするのだ。
ここぞと思う場所に飛び込んでみればいい。

バスに乗って市内へ引き返す。
最初の日、重量超過の荷物を抱えて散々その前を行ったり来たりしたボロアパート風の建物へ入った。
一階は無人。やっぱりここは違うのかな?
でも、念の為に二階へ上がってみる。
部屋の扉が開いていて、中で若い女性が電話をしていた。
彼女が話し終えるのを待って、僕は覚えたてのロシア語で訊く。

ガスチーニッツァ?(ここは宿ですか?)

ダ(ええ)

ミェースタ、イェースチ?(ベッドはありますか?)

ダ(ありますよ)

パチョーム?(いくらですか?)

1500テンゲです(何だ、英語できるのか)

これを天使の声と聞いた。
彼女の口からニェトは一度も発せられなかった。奇跡的だ。
良きことがあり、悪しきことがある。


その次の問題。
僕は三たびオヴィールを訪れた。
受付業務は午前で終了したとしても、せめて料金窓口で罰金の支払いは済ませておかなければならない。今日の日付の入った領収書も欲しい。
何しろ月曜日になったら罰金額が増えている可能性だって無くはないのだ。
例えば、罰金額の計算方法が超過日数分の日割りかもしれないではないか。
何が起こるかわからない。

時刻は15時過ぎ。
腹が減ったなあ…。

業務は再開されていた。
各受付窓口には係官がおり、登録申請を済ませた人々にパスポートを配っている。
午前に申請、午後に受け取りというシステムらしい。
最初に言ってくれ、そういうことは。

料金窓口で22000テンゲを差し出す。
大金だ。10日分の生活費が一瞬で消える。
だが、窓口の女性は札を数えてからこう言った。

ニェト。

は?
またニェト?
言われた通り持って来ただろうが。

彼女は手許の電卓を叩いた。
示された数値は23510。

何で増えとるんじゃクソッタレめが!

大体、その半端な10は何だ?10は?

先刻宿代を支払ってしまったので、財布には国境までのバス代しか残っていなかった。
仕方なく両替所まで走ってもう50$両替。
もしかして呪われているのだろうか?
誰だ俺に呪いをかけたのは?

罰金総額23510テンゲはその日の対米ドルルートでほぼ200$だった。
ようやく領収書を受け取る。
これは官憲による合法的強盗ではないのか。


申請窓口の前を通ると、今朝僕に罰金の支払いを申し渡した女性係官の姿がガラスの向こうに見えた。
無駄とは知りつつ、一応書類一式を渡してみる。
どうせ、月曜日に来いと言ってつき返されるのだろう。

しかし、意外や意外、彼女は少し迷った風だったが、20分待って下さいと言い残してどこかへ消えたのだ。
イレギュラー対応で僕の申請を、今、処理してくれるのか?
奇跡的な例外がここにあるのか?

果たして、20分後、僕は登録を証明する紙切れを受け取った。
こんなものの為に200$も失うとは。

もう問題はないのですか?

ありません。

ロシア式官僚主義の迷路の中で見えた唯一の光明だ。
良きことがあり、悪しきことがある。

僕は逃げるようにオヴィールを後にした。
そうなると、慌てて今晩の宿を手配したのが無駄になった訳だが。
念の為に一泊分しか料金を払っていなかったのは懸命だった。
明日の夜行で国境へと向かおう。


だが。
呪いは解けていないという気がする。
国境は常に不吉な場所だ。
越境地点でもう一つ二つ予測不能なトラブルが起こるだろう。
予感が、夜の鳥のようにそう告げていた。

そして、この種の予感は必ず当たる。
物語の中に銃が出て来たならば、それは必ず撃たれなければならないのだ。






















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21 April

週刊金曜日責任編集 行ってはいけない! 3



翌日からビザ待ちの為だけの生活が始まった。
僕の一日の生活費は15$が上限なので、宿代に12$半も取られてしまってはどうしようもなかった。

日に一度、バスに乗って市内まで出る。
ぶらぶらと公園を散歩し、帰りにスーパーでパンと缶詰とビールを買った。
アルマトゥで安いのはバス代だけで、その他の物価は日本とあまり変わらない。
間違っても外食なんて真似はできず、一本のビールだけがほとんど唯一の贅沢だ。
パン、缶詰、バザールで買ったキュウリとトマト、チーズ。
そういう食生活が一週間以上続いた。わびしいことこの上ない。
しかも、ビールがあまりうまくないのだ。
ロシア産だからなのか、とりあえずビールはビールというだけのビールだ。
温かくて美味しいものを好きなだけ食べられた中国の旅を懐かしく思い出す。

僕は2日に1度、宿の女将に3000テンゲずつ払い込んだ。
何もしていないのに所持金がじりじりと目減りしてゆく。
それに反比例するかのように、ビールの空き瓶と退屈さとが増えていった。

観光すればよさそうなものだが、哀しいかな、アルマトゥは典型的なロシア式地方都市で、見るべきものは何もないのだ。
一度だけ、試しに民族楽器博物館という場所に入ってみたが、酷いものだった。
客は一人もおらず、照明もあらかた落とされていて妙に暗い。
展示の仕方もお粗末そのもので、貴重な文化遺産を全世界に向けて公開し、伝統文化の保存に寄与したいというような意志は微塵も感じられない。
ただどこかから楽器をかき集めてきて、間に合わせにそこに並べてみましたというだけのことだ。
僕は民族楽器のフォルムや奏法といった事柄にはかなり興味があるのだが、説明パネルはロシア語だけなので何がなんだかさっぱりわからない。
これは弦楽器だなあとか、この弓で弾くようだぞとか、そういうことがぼんやりと分かるだけだ。

他には公園にロシア正教の教会があるのと、パンフィロフと祖国戦争(対独戦争のことをロシアではこう表現する)のモニュメントがあるくらい。
半日で全て見終えてしまう。

と、まあそんな感じで時間を右から左へうっちゃりながら、僕は灰色都市の、灰色の建物の灰色の部屋で、灰色になって垂れ込めていたのだった。
改めて旅というのは暇じゃないとできないなあ、と思う。


アルマトゥに入って11日目、ようやくビザ受領の日を迎えた。
宿をチェックアウトして領事館へ向かう。
なるべく早い方がいいだろうと考え、14時には領事館に着いたのだが、既に黒山の人だかり。
この間と同じ、人相の悪いチンピラ顔のポリ公が警棒を弄んでいる。
ウェイティングリストは?と訊くが、そこで待ってろと、またしても同じ反応。
これは今日中の受領は無理なのではないか、という気がふとする。

申請待ちの人々の中にはパッカーもいた。
アメリカ人とオランダ人。
旅行者に会うのは本当に久しぶりだ。というか、まともに人と会話するのが久しぶりなのだが。

彼らはもう3日ここへ通っているが、領事館へ入ることはおろか、申請用紙すらまだもらっていないのだと言う。
オランダ人の方は気長に待つしか仕方がないと諦めている風だったが、アメリカ人はこの事態に全然納得できない様子。
口角泡を飛ばしつつ、ロシア式のいかに不合理な事かについて演説した。

2時半に来いというからその通りに来たら、3時まで待て。
3時まで待ったら4時まで待て。4時まで待ったら5時まで待て。
5時になったら明日また来い、だぜ。
一体全体どうなってんだこりゃ?
なあ、あんた。
なんでこんなことがまかり通るんだと思う?
日本でそういうことってあるか?オランダは?
ないよなあ。
俺の国でももちろんないよ。
なのに、なんでここはそんな風なんだと思う?
奴らが阿呆だからだよ。
阿呆の集まりなんだ。
俺は労働者を尊敬するよ。
例えばあそこで今ビルを建設してるよな。
俺は工夫を尊敬する。物売りでも掃除夫でも何でもいいんだ。
尊い労働をしてる連中だ。
だが、ここのポリ公どもは阿呆だよ。阿呆でクソッタレだ。
権力を傘にきて遊んでやがるんだ。
見なよ、あのポリ公。笑ってやがる。
勤務中に白い歯見せて笑ってるんだぜ。
奴らはゲームをやってるんだ。クソッタレめ。

彼の言うことはいちいちもっともだし、僕もおおむね同じ感想を抱いていた。
ビシュケクへ移動して、そこで申請した方が早いんじゃないのか?と提案してみた。
だが、ここでもロシア式の登場。
かの地では申請条件が異なるらしく、レターだのインビテーションだのと、官僚主義の迷宮的に煩雑な手続きが要るのだそう。
どうして同じ国の同じビザを申請するのに、場所によって申請方法が異なるのか。
彼はこの点にも納得できないようだった。

官僚主義で事大主義。
政府も内務省もポリ公も全部が阿呆だから、実務レベルでの運用方法が100通りくらいあるんじゃないかな、と僕は意見を述べる。

本当にその通りだよなあ、とアメリカ人。
オランダ人はただニコニコと我々の話を聞いているだけだ。
お国柄と言うべきか。


この日はどういう訳か、領事が勤務時間中にどこかへ出かけていってしまい、我々はただ無為に時間が流れ去るのを見守るだけだった。
15時になり、16時になっても誰一人領事館へは入れない。

アメリカ人はその間も文句を垂れっぱなしだったが、とうとう周りにいるアフガン人に向けて演説をぶち始めた。

なあ、なんでこんなにいい加減なんだよここは?
領事は俺らが待ってるのに昼飯食いに行ってやがるのか?
アメリカ人が、日本人が、オランダ人が、アフガン人が、まともに扱ってもらえなくて怒ってるってことを領事に分からせなきゃいけない。
なあ、あんたそう思わないか?
俺なんか3日もここへ通ってんだぜ。


すると、アフガン人の内の英語のできる一人がこう言った。

でも、あたしらもう2週間ここで待ってるよ。


これにはさしものアメリカ人も一言もなかった。
僕もびっくりして息を飲んだ。

そこで、僕はようやくこの領事館のシステムを理解したのだった。
門番のポリ公と、領事館内での業務は全く連動なんかしていなかったのだ。
ポリ公が勝手に順番待ちリストを作り、ポリ公の裁量で人を中に送り込むだけ。
だから、領事は外で何人もの人々が何時間も何日も待っているということを知らない。
ただただ、入って来た人に対して機械的に発給業務を行っているだけなのだ。

僕が前回申請できたのは本当にまぐれだった。
その日、たまたま待ち人数が少なかったのと、ポリ公が気まぐれを起こしたという偶然が重なっただけだ。
だとすれば、領事館に入る為には「パスポート」が必要なはずだった。
もうひとつ別の「パスポート」が。

僕は訊く。
もしかして、あなた方は門番の警官にいくらかお金を渡したんじゃないですか?

その場にいたアフガン人全員が首を縦にふる。
思った通りだ。
領事館に入れるも入れないもポリ公の胸ひとつ。
当然、袖の下という話になるだろう。

なんてこった!クソッタレが!
アメリカ人が吼えた。

ポリ公にカネを掴ませても2週間も待つんだぜ。
何もしてない俺らが3日で入れるはずないじゃないか。
なああんた、あんたよく申請できたよなあ。
やっぱ日本のパスポートは違うのか?

僕は言う。
いや、この前は運が良かっただけなんだ。
僕もカネが必要だなんて知らなかった。
順番待ちリストに名前を書いて待ってれば、いずれは入れると思ってたんだ。
実際入れたしね。
ともかく、少なくともリストに名前だけは書かなきゃ駄目だ。
ここにいる皆は、順番待ちリストの順番待ちをしてるんだろう?

いや、名前なら書いたぜ。
俺も、オランダの彼も、今日14時前に来て書いた。
と、アメリカ人。

今度は僕が慌てる番だった。
ポリ公はリストの順番待ちをさせてるんじゃなかったのか。
この場にいる人々の中で、リストに名前がないのは僕だけらしい。

急いで門番小屋に入り、ポリ公に言った。
待つのは構わないから、せめてリストに名前を書いてくれないか?
しかし英語は通じない。

もともと悪い顔つきをさらに悪くさせて、ポリ公は怒鳴りだした。
外で待ってろって言っただろうが!

クソッタレめ。
僕は仕方なく門番小屋を出る。
もう今日ビザを受け取るのは無理だろうという気がする。

あいつキレやがったぜ。
そう僕が言うと、アメリカ人もオランダ人もアフガン人も大笑いした。
笑い事じゃないんだけどなあ。


しばらくすると、ビジネスマン風のインド人が現れた。
アメリカ人達とは顔見知りらしく、親しげに言葉を交わす。
なんだ、おたくらまだビザもらえないの?とか何とか。
彼の名前はアクバルといった。

僕はアクバルに訊く。
あなたは順番待ちリストに名前書いた?

もちろん書いたよ。
夜中の2時に来て書いた。だから私の順番は早いよ。

むむ。
僕はとことん甘かったようだ。
領事館の業務は14時半からだが、水面下の順番争いは12時間も前に始まっていたのだ。
当たり前だが、こういう事柄はガイドブックには載っていない。

だが、今日僕は受領するだけなのだ。
手続きが煩雑な申請とは違って、そこに一縷の望みがあるかもしれない。

悪いんだけど、僕の名前をリストに書いてくれるよう門番に言ってもらえないかな?
今日僕は受領なんだけど、あいつ英語がさっぱり通じなくて、待ってろ待ってろって言うばっかりなんだ。
リストに名前がないと、いつまで待っても無駄なんでしょう?

うん。
それじゃ駄目だ。私が話してあげよう。


アクバルはロシア語で門番に事情を説明してくれた。
ポリ公が、おやという顔をする。
何なんだ一体?
皆リストに名前を書くんだから、僕だけ名前を書かずに待つのは変だと思わないのだろうか?
アメリカ人の言う通り、阿呆なのだ。

アクバルが言う。
彼じゃなくて、ボスに頼まなきゃ駄目みたいだ。

連れ立って門番小屋へ入る。
もう一人ちんちくりんのポリ公がいて、そいつがボスなのだと。
顔も形も爆笑問題の田中に酷似している。
何かコスプレとかそういうのだろうか?

アクバルが自分の肩を指差した。
見ると、田中の肩には階級を表す星の徽章がふたつある。
僕を怒鳴りつけた阿呆のポリ公はひとつだけ。
なるほど、こいつはここのボスだ。


彼に言ってやってくれ。僕は今日受領なんだって。
アクバルが通訳してくれる。

田中はひとつ頷いてウェイティングリストを取り出した。
そして、パースポルトと言った。

僕はパスポートを彼に渡す。
これと全く同じ手続きが申請時にも行われたのだ。
初日はリストの存在すら教えてもらえなかったし、今日は今日で、こちらからあの手この手で働きかけないと名前も書いてくれない。
ポリ公はただただ阿呆なのだろうか、それとも恐ろしく計算高いのだろうか?

田中はしばらくパスポートをいじり回していたが、カザフビザのページで手を止めた。
レギストラーツィヤ?と僕に訊いてくる。

アクバルが間に入ってくれた。
ひとしきり田中と言葉を交わした後、事情を説明してくれる。

彼は、レギストラーツィヤができていないと言っている。
外国人は5日以内にオヴィールで登録しなきゃいけないんだ。

え?
その登録、日本人は要らないはずなんだけど。

再び田中とアクバルのやりとり。

いいや、全ての外国人に必要だと言ってるね。

何だって?
参ったな。今からオヴィールに行かなきゃいけないのか?


用語の解説をしよう。
レギストラーツィヤというのは英語でいうところのレジストレーション。
つまり外国人登録のことだ。
旧ソ連圏の国では悪しき官僚主義がいまだにはびこっており、その中のひとつにこの外国人登録がある。
オヴィールとは内務省の外事課の名称で、通常はそこへ出向いて登録をしなければならない。
ただ、実情は国によって様々であり、短期滞在なら登録しなくてもよかったり、宿が代行したり、制度が形骸化してしまって登録しなくても問題にされなかったり。
カザフスタンは数年前に登録制度が改正され、日本人は一月以内の滞在ならば必要なくなったはずだ。
ガイドブックでもウェブでもちゃんと確認した。

だが、この状況を考えるに登録制度は今も生きているらしい。
またもロシア式。
もうカザフに入ってから10日以上過ぎている。登録期間はとっくにオーバー。
困った。
今日中にビザがもらえると思っていたのに、厄介な話になってきた。

田中と何事かを話していたアクバルがおもむろに言う。

カネはあるかい?

はあ?

彼はこう言っている。
本来ならば法律違反で即通報しなきゃならないんだが、カネを払えば見なかったことにしてやる、と。
ついでに、領事が戻って来たらすぐに入れてやる。
知らん顔してビザをもらってから、オヴィールに出頭して手続きすればいい。


むむむ。
そう来たか。
カネを払っても2週間も待たされるアフガン人の顔が浮かんだ。
この場をしのいでビザを入手するには、他に方法はないだろう。
相手はポリ公なのだから、賄賂を拒めば法律違反で逮捕という展開もあり得る。

いくら必要なんだ?

それをアクバルが通訳。
馬鹿馬鹿しい。通訳つきの賄賂要求だと?
これはシステムなのだ。
末端まで腐敗しきった警察機構を支えるシステム。

7000テンゲだ。

うわ、高っ!
およそ60$。
毎日毎日出費を15$に抑えるべく倹約していたというのに。

5000しかないと言ってくれ。

それをまた通訳。

ハラショー、と田中。
クソッタレめ。何がハラショーだ。

僕は虎の子の5000テンゲ札を田中に差し出す。
奴は僕の目を見なかった。そそくさと札をしまいこむ。


だが、彼らのルールに従うより他ない。
なぜなら、ここは彼らの国だからだ。


門番小屋を出てアメリカ人に事情を話す。
レギストラーツィヤは今も必要なのか?

ああ。
俺のガイドブックは最新版だけど、必要って書いてあるな。
でも心配ないよ。それはあんたの責任じゃない。
だって宿はあんたのパスポートをずっと預かってたんだろ?
本来なら宿側で行うべきなんだ。
未登録は国境で見つかると大変らしいけど、明日オヴィールで事情を話せば大丈夫だろ。
まあ、ちょっとくらい罰金取られるかもしれないけどね。

そんなに簡単に済むだろうか…?
ともかく、予定は狂ってしまった。
ビザが取れ次第ウズベク国境へ向かうはずが、もう一泊して出頭しなければならなくなった。


やがて17時になり、領事がやっと戻って来て業務は再開。
僕は約束通り真っ先に領事館へ入れてもらい、正規の登録手数料15$を支払ってめでたくビザは発給された。

よい旅を、と笑顔で言う領事。
こいつは外で行われているポリ公どもの汚職を知らないんだろうな。

建物を出て、アメリカ人らと別れる。
領事館業務は17時半までだから、おそらく彼らは今日も申請できないだろう。
ポリ公の言いなりにカネを払い、自分だけがビザをもらったことで、何だか彼らに申し訳ないような気がした。

グッドラック。
頑張れよ。




















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18 April

週刊金曜日責任編集 行ってはいけない! 2

翌朝も冷たい雨が降っていた。
空も街も人も、全てが灰色に見える。
旧共産圏の建築物はどれもこれも似たような灰色をしているのだ。


こんな高い宿に居たのでは遠からず破産は確実だった。

雨の中、別の宿を探しに出る。
ここでもまた目的地が見つからずに苦労することになる。
看板が出ていないのだ。
出ているのかもしれないが、少なくとも宿の名前はどこにも見当たらない。
外観が全く宿らしくないのも困りものだ。

今度の宿は市内からは随分と遠い。バスで30分。
1500テンゲ。約12$半。
それでも相当に高いと感じるが、アルマトゥでは最安値の部類だろう。
シャワーはやっぱり別料金。
僕はアルマトゥ滞在中、結局3回くらいしかシャワーを浴びられなかった。
ここも旧インツーリスト系のオンボロ宿で、少し上品な廃墟といった体だ。
おまけに建物の中に音楽カフェがあるらしく、毎晩毎晩、人が寝ようと思う頃に馬鹿でかい音で下らない音楽が鳴り響くのだ。
それが一晩中続く。これには閉口した。

もちろん、ここはツーリスト向けの宿ではない。
周辺国から流れて来た人々が長逗留する場所なのだ。アフガン人やキルギス人であふれ返っている。

言葉で苦労したが、なんとかベッドを確保。
宿のレセプションにはパスポートを常時預けなければならないらしい。
ウズベキスタンのビザを申請しに行くからと申し出ると、デポジットとして2000テンゲ払えと言う。

そりゃ一体何の為のデポジットだ?
そもそもこれは俺のパスポートだろう。

だが、従うより他ない。


氷雨の中、ウズベク領事館へと向かう。
ガイドブックには15時から営業と書いてあったのでその時間に着いたのだが、実際は14時半からで、既に人が大勢集まっていた。
領事館の前には門番小屋があって、そこにカザフ人のポリ公どもが詰めている。
領事館への出入りは全てこのポリ公が管理しており、奴らの許可なしには入ることも出ることもできない。
その日はロシア系のポリ公がいて、僕の顔を見ると、ヴィーズ?と声をかけてきた。

どこから来たの?
イポーン?
そいつはハラショー。
じゃあそこら辺で待っててね。

言われた通りに待つ。
気温は低く、歯の根が合わないほど寒い。
領事館へ出入りする通路は鉄の門で閉ざされており、その鍵の開け閉めがポリ公の仕事だ。
一人出たら、一人入る。そういうシステムらしい。

僕は自分が呼ばれるのを震えながら待っていたのだが、一向に声がかからない。
1時間が過ぎ、2時間が過ぎ、その場にいるアフガン人達は一人また一人と建物の中へ入って行く。

あの、本当に呼んでくれるんですか?
せめて申請用紙だけでももらいたいんですが?

そう声をかけてみたが、大丈夫大丈夫、外で待っててと言うばかりのポリ公。
そのうちに勤務交代の時間が来たのか、そいつは帰ってしまった。

そして17時半。
アフガン人は皆帰ってしまい、僕だけが間抜けにもまだ待っているという状態。

どうなってるんだろう?と後から来たポリ公に訊くと、「クローズ」とぬかしやがった。手でバツ印を作って見せる。

はあ?
どういうこったそりゃ?
俺はこの雨の中、2時間半も待ったんだぞ。
お前らが待てと言ったからだろうが。

どういうことか説明してくれ、と英語でまくし立てたが通じない。
ポリ公は「ザーフトラ」と言い残して門番小屋へ入ってしまった。

ザーフトラはロシア語で明日。
明日また来いということらしい。
ううむ、またもロシア式か。
僕はがっくり肩を落として帰路に就いた。

しかし、これは僕が迂闊だったのだ。
ロシア式ホスピタリティゼロのポリ公に言われたままぼけっと待っていたなんて。
当然、順番待ちリストがあってしかるべきなのだ。
ちょっと考えればすぐにわかることだ。


翌日は打って変って晴天。
僕は14時半きっかりに領事館へ着いた。
門番小屋の前には既に順番待ちの列。

僕は詰め所へ入り、パスポートを見せ、ウェイティングリストに名前を書いてくれと訴えた。
この日居たのは人相の悪いアジア系のポリ公。
いつでも、どこでも、誰でも、必要とあらばその警棒で躊躇なく殴りつけるという感じの雰囲気だ。
例によって英語は通じず、外で待ってろと無理やり押し出されてしまった。
そして、ここへ並んで待て、と。

リストに名前を書くのにも順番があるらしい。
こんなことをしていたら、その内に領事館の周辺一帯が順番待ちのフラクタル現象になってしまうではないか。
順番待ちリストの為の順番待ちリスト。そのまた順番待ち…。

今日も領事館へ入れないのだろうか?
暗い疑念がよぎる。

だが、今思えば、この日も領事館へ入れない方が良かったのだ。
そうすれば、僕は短気を起こしてキルギスのビシュケクへと移動していただろう。
ビシュケクにもウズベク領事館はある。
雪崩のことは気にならないではないが、ビザの申請すらもいつできるかわからないような場所へ通い詰めるのは真っ平だ。
カザフのようなクソッタレ国に2週間もいる必要はなかったのだ。

しかし、ここが死神の腕の見せ所。
まさに悪魔の配剤。

この日、ポリ公は気まぐれを起こした。
まず、そこに待つ人々に申請用紙が配られ(当然僕ももらった)次いでウェイティングリストにも名前を書いてもらった。
そして、あろうことか僕の順番が来て、領事館へ入れてしまったのだ。
領事の実務能力は恐ろしく低いらしく、中でもよくわからないまま散々待たされたが、最後には申請が受理された。
これはほとんど僥倖に近かったと思う。

ただし、受け取りは7日後。
中3営業日もかかる上に、週末とウズベクの祝日が2日も間に入るのだ。
僕は滞在3日目にして既にロシア式に相当うんざりしていたので、一週間も無為に過ごすのは耐えがたかった。
でも他に仕様がない。
何はともあれ、申請は受け付けてもらえたのだから。

パスポートホールディングはなし。
申請を受け付けた旨の証明書もなし。
ちょっと妙なシステムだが、まあそんなものだろう。


僕は宿にパスポートを預け、デポジットを取り返した。








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15 April

週刊金曜日責任編集 行ってはいけない! 1

今回、旅の力点はシルクロードに置かれている。
中国、ウズベキスタンなどのオアシス都市と、その名所旧跡を訪れるのが最大の目的だ。

本来であれば中国からビザの要らないキルギスタンに入り、ウズベキスタンへと抜けるのが理想なのだが、ひとつ問題があった。
ウズベクへのアクセスはキルギス南部のオシュという都市が起点となるのだが、オシュと首都ビシュケクの間には東西に山脈が走っており、雪解けの季節に峠道でしばしば雪崩が起こるという。
折しも、季節は3月。
場所こそ違え、キルギス国内で外国人クライマーが雪崩で行方不明になったというニュースがあったばかり。
キルギスでバスごと雪に押し流されて谷底へ転落、というのはあまりいい死に方とも思えない。

僕は迂回路を取ることにした。
中国からカザフスタンを経由し、ウズベクへと抜けるいわゆる天山北路のルートだ。
しかし、この判断ミスが全ての災厄の元凶となる。
僕はキルギスの山間で雪に埋まってしまうべきだったのだ。


そもそもの最初からカザフの旅は死神に魅入られていた。
先制パンチとばかりに中国との国境コルガスでカネをすられてしまったのだ。

国境は北京時間の10時半に開く。ウルムチ時間で8時半。
これはカザフの首都、アスタナ標準時に等しい。
なのに、何を考えてやがるのか(きっと何も考えてないのだろう)夜行バスは北京時間の7時半に僕を国境で放り出した。
当然辺りは真っ暗。街灯ひとつない。
おまけに酷く冷える。僕は防寒具を着込み、空が白むのを待った。
人が三々五々、大荷物を抱えて集まってくる。
途中から冷たい雨も降り始めた。

そして、ようやく10時半。
開門を今や遅しと待ちわびていた人々が一気にイミグレーションオフィスに雪崩れ込んだからたまらない。
僕は人波に押し流され、ぶつかられ、よろめき、何度も転びそうになった。
一度列から出て空いている後ろ側に並び直したかったが、それもできない。
ギターのハードケースがさらわれないように必死でつかんでいるのが精一杯だった。

なんで皆そんなに我先に駆け出すんだあ?
たかが5分10分の違いじゃないか。

だが、この土地の民は列を作って整然と並ぶという概念を持たないのだ。
脱水機の中でめちゃくちゃにかき回されているようなものだった。
何がなんだか訳がわからない。
そうして、這う這うの体でイミグレオフィスへと抜けた時、財布の紐がぶらんとぶら下がっているのに気づいた。

もちろん中身は空だ。

両替しておいたカザフスタンテンゲも、ドル紙幣も、越境バスの為に残しておいた小額の元も、旅先で出会った人々のアドレスを書いた紙も、全て消え失せていた。

ちくしょう!やられちまった!!

僕は駆け戻り、辺りを見回したがそんなことをしても無駄だ。
門番の警官に、おい!泥棒がいるぞ!と訴えてもみたが、それも無駄。
あっそう、へえ、運が悪かったねえってなもんだ。
全然取り合ってくれない。

国境にはウイグル人やカザフ人の両替屋、運び屋がうようよいて、外国人旅行者である僕は彼らの格好のカモだったようだ。
しばし呆然とする。
何しろ長く旅を続けていて、何かを盗られたのは初めての経験だ。
被害総額は80$くらいだろうか。
それも相当に痛いが、何よりも精神的ショックが大きかった。
今からウルムチに帰って被害届けを出す訳にもいかない。
盗られたのはキャッシュなのだ。絶対に戻って来ないし、もちろん保険も適用外。
国境まで来て小金を盗られたからと言って引き返す馬鹿もいない。
完全に泣き寝入りだ。

最低の気分で国境を越えた。
オフィサーが中国は良かった?カザフからまた戻っておいでよ、と無邪気に言う。

クソッタレめ。

ああ、そうね、多分、と気のない返事を返すことしかできない。


緩衝地帯を越えるバスを雨の中ずっと待ったり、カザフ側のイミグレが理由もなく何十分も閉まったりと、とにかく酷い越境だった。
おまけにアルマトゥまでの交通費が馬鹿高い。
なんと30$もするのだと。
カザフ人の中年夫婦とタクシーをシェアしたので、多分適正価格だろう。物価が高い高いとは聞かされていたが、想像以上だ。

このおじさんは親切な人で、色々と世話を焼いてくれた。
昼食をおごってくれたし、宿に電話をかけて道順を訊いてくれた。タクシー料金もいくらか負担してくれたみたいだった。

良きことがあり、悪しきことがある。


アルマトゥに着いてからも受難は続く。
目的の宿がどうしても見つけられないのだ。
西安でつい一月前にその宿に泊まったというパッカーに会っていたので、存在はしているはずなのだ。

だが、あるべき場所にそれがない。
重い荷物を抱えて、その辺りを何度も行ったり来たりする。

実は目的の建物はずっと僕の視界に入っていたのだ。
だが、そもそも看板というものが出ていなかったし、何よりもそれは全然宿には見えなかった。
これは違うよなあ、と勝手に思い込んでしまっていたのだ。

何人もに道を訊いた。
無視して通り過ぎる人、知らないと一言だけ残して去って行く人、あっちだよと教えてくれる人、様々。
これはあくまで印象だが、ロシア系の人は総じて冷たく無関心、アジア系の人はまだ少しは義侠心を持ち合わせているようだ。
ともあれ、見つからないことには変わりがない。
1時間近くうろうろしたが、陽も傾いて来たので仕方なく第二候補の宿に移動する。
バスの路線も乗り方もさっぱりわからないから、歩くより仕方がない。
だいたいカザフスタンの通貨はスられてしまって、ない。

次の宿もなかなか見つけられなかった。
なぜって看板が出ていないからだ。
安宿はすべからく看板を出さないのがロシア式らしい。

ここでも散々人に道を訊いて、やっとそれらしき建物へ入った。
レセプションにいるロシア系の中年女性には英語がさっぱり通じない。
苦労した末に何とかドル紙幣しか持っていないことを伝え、後で両替してから払うことを了承してもらった。

しかし、部屋代はなんと4000カザフテンゲ。約33$だ。
もっと安い部屋はないのか?ドミトリーで構わないんだがと言ってみたのだが、通じたのか通じてないのか「ニェト」を繰り返すばかり。
僕はカザフにいる間中、どこへ行っても、何を訊いても、このにべもない「ニェト」をうんざりするまで聞かされることになるのだった。
あくまでもロシア式。

部屋は酷かった。
東南アジアや中国の安く快適な宿を巡り歩いて来た身にとっては、これのどこに33$も払う価値があるのか全く理解できない。
旧インツーリスト系の、老朽化著しいウサギ小屋。
おまけにシャワーは別料金だとぬかしやがるのだ。

最低だ。
最低の夜明けで始まり、最低の日暮れで迎える最低の一日。

だが、僕はあまりにも疲れ果てていた。
その日はそのまま倒れるように就寝。

もっと最低なことが悪夢のように次々と起こるなどと、この時には想像もできなかった。






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