Archive for February 2008

14 February

旅人交遊録

タイからラオスへの国境越えのバスで出会ったおじさんの話。

昭和24年生まれの丑年。僕の両親と同い年で、還暦前である。
前歯が二本なく、他の歯も銀歯だらけ。
そのせいか発音がやや不明瞭で、しゃべる言葉は隙間風のよう。
お店で何かをオーダーする時も、店員は彼が何を欲しているのかなかなか聞き取れない。
そんな時には僕が大きな声で復唱してあげなければならない。


さて、このおじさんは何者か?

一目見てカタギではあるまいなあ、と判断する。
あまりにもくたびれているし、旅慣れ、いや旅ずれしているようにさえ見える。
アジアでは(特にタイ周辺では)こういう崩れた感じの年配の旅行者を割によく見かける。
東南アジアが好きで通ってる内に段々と深みにはまり、女を作り、やがては住み着くようになり、観光ビザを更新する為に定期的に隣国へ出かけることを繰り返す。そういった手合いだ。

しかし、お休みで来ておられるんですか?と訊ねる。
一応。儀礼上。全然そんな風に見えなくてもね。
だって普通のいい歳した日本人はバックパッカー用のツーリストバスになんか乗らないですよ。

返って来た答えは…。

いえ、私はね、旅が仕事なんですよ。

まあ。素敵なお言葉。
物でも書いているのだろうか。それとも写真?

いやね、私、虫採ってんですよ。もう30年続けてます。

ほう、虫ですと。
ドクトルマンボウ昆虫記の虫。なんとお珍しい。
マンボウ氏と密かに命名する。

僕は彼と部屋をシェアすることにした。

マンボウ氏はお酒をこよなく愛する。
宿に荷物を降ろしたら早速酒屋を探しに行ったし、焼酎の無料サービスがあるという理由で地元民しか行かないような焼肉屋へ連れて行かれたりもした。
(夕食を終えて部屋に帰って来ても、まだ一人で飲み続けていた)
 
その焼肉屋でのこと。
どこの部位だかまったく怪しい肉をつつきながら、問わず語りに身の上話を始める虫採り男。
グラスを満たす琥珀色の液体は「ラオラオ」という地元の酒だ。
多分米でできているんだろう。
それをちびりちびりとやりながら、虫の話をしてくれる。

氏の狩猟場(というか何というか)は主にインド、中国、そしてアフリカ。
獲物は蝶、トンボ、他にセミなど。
それらを標本にして、蒐集者に売るのが仕事である。

蝶と言っても、土産物屋でみかけるような大きい派手なものではない。
氏に言わせれば、あんなのは「つまんない」ということらしい。
彼が追うのはもっと小さくて地味なものである。
つまり玄人好みの希少種を狙う訳だ。それを学者やマニアに提供して、報酬を得る。


やはり30年も蝶を追っていれば新種を発見したりすることもあるのだろうか?

ありますねえ。全くの新種はひとつですけど。私の名前がついてますねえ。
あとは亜種が4,5種類くらいですか。
何しろヨーロッパ人が植民地時代にほとんどの種を見つけてしまってねえ。
新しいのはなかなか出ないんですよ。


昆虫の蒐集というのは、いわば古本マニアと同じで、まったく一代限りの趣味なのだそうだ。
本人が死んでしまったら、家族にとっては虫などガラクタでしかない。
しかも標本箱というのは出鱈目に大きいものだから、せっかく体系だてて集められた虫たちも二束三文で売り払われて散逸してしまう。
氏も貴重な標本をいくつか持っており、できれば博物館に寄贈したいのだが、どこも満席で受け入れてくれないのだとか。

昔は学者に提供してましたから。
学術貢献しているという自負も少しはありましたがね。
バブルがはじけてからは駄目ですね。大学の教授なんかお金ないもの。
今の客筋は医者とかですねえ。標本マニアのお医者。


マンボウ氏の仕事は時に違法行為となる。
何しろその国の山野に勝手に入って行って、勝手に虫を採っているのだ。
いわば密猟。

捕まったことも何回もありますよ。
刑務所にも入りましたよ。スリランカだったかなあれは。
留置所と裁判所と刑務所をたらい回しにされて、何週間か出てこれなかったですねえ。
地元の新聞とかテレビにも大きく報道されたみたいですよ。
日本の新聞にも小さく載ったらしいけどねえ。


マンボウ氏はいわゆる団塊の世代である。
学生運動には当然深く関わったし、勤めてからは(勤めていた時期があったのだそうだ)組合運動に精を出した。
今でも政治的にはなかなかラディカルな思想を持っている。

そして虫を採り始めて30年余。
気がつけば還暦を迎えるような歳になった訳だ。
繰り返しになるが、我が父母と同じ年に生を受けた人である。
そしてちょうど今の僕くらいの年に虫採りの旅を始めた計算になる。
波乱万丈とは言わないまでも、相当に変わった人生ではある。


今はもう必要な分だけしか採らないですね。
昔は両手にダンボール抱えて日本に帰ったものですけどねえ。
もう無駄な殺生はしたくないんです。
命あるものをこの手で殺めることが段々辛くなってきてね。

退職金なんてないから、70まで勤めてすっぱり止めるつもりです。
子供もみんな独立したし、まあ安心ですよ。
隠居して読書三昧の日々を送るのが夢ですね。

でも旅でおたくみたいな若い人と出会うのが楽しくってねえ。
なかなか止められないかもしれないな。


その日の真夜中。
酩酊してそのまま寝入ってしまったはずのマンボウ氏が突如壁を叩きだした。

おい、ここはどこだ?
俺はどこにいるんだ?

僕はあわてて部屋の灯りをつける。
大丈夫ですか?

僕の顔を見て安心したのか、便所に立つマンボウ氏。
刑務所に入れられた時の夢でも見たのだろうか。


そういえば欠けた二本の前歯は捕まった時に折られたのかもしれないな、とふと思い当たった。










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04 February

健啖なる旅の胃嚢を充たす為に 

僕は陸続きにいろいろな国を訪ね歩くスタイルの旅行が好きなので、いわゆる島国は「どんづまり」として敬遠してきた。
インドネシアやフィリピンなどの海洋アジアにはまだ行ったことがない。

同じ理由で韓国も未訪問国だった。
陸路で第三国へ抜けることが不可能なのはご存知の通り。
いわば陸の孤島だ。
それが今回、シンガポールへ飛ぶ前に数日間母とソウルに遊ぶ機会を得たのだ。

となれば、当然、話題の韓国の食を心行くまで堪能してやろうと鼻息も荒くなるというものではないか。


初日。
ソウルに着いたのは夜も9時過ぎ。
噂には聞いていたが、ちょっと考えられないくらい寒い。
リムジンバスを降りてからホテルにたどり着くまでのわずか数分間で、耳も鼻もぽろんぽろんと取れてしまった。

こりゃ何か温かいものを食べようという事で、震えながら明洞まで行って、目についた最初の店に飛び込む。
後でわかったことだが、この店は日本のメディアでも散々紹介された超有名店。
オモニチプという名前。おふくろの店くらいの意味だろうか?

メニューの一番上に載っていた海鮮鍋を所望。海鮮チヂミも追加。
まず、キムチやナムルなどが乗った小皿がずらっと並べられる。
続いて巨大鍋がもうもうと湯気を立てながら登場。スープがまっ赤っか。
ちょっとでかすぎるんじゃないかという我々の懸念をよそに、巨大チヂミがさらにやってきた。
食べきれるかな?

鍋がいい感じに煮えてきたところで、おばさんがハサミでカニの足やらイカやらをぢょきぢょきと切ってくれる。
赤いスープはさすがに辛いが、意外にあっさり味。
モヤシや白菜が海鮮のうまみをたっぷり吸って美味。
ヂヂミもキムチも大変おいしい。
気がつくと我々は結構な分量を綺麗に平らげていた。

極寒のソウルにこの鍋はこたえられんことじゃのう。



二日目。
ブランチにお粥屋へ。
またしてもキムチやチャンジャの小鉢が並ぶ。
赤いイカの塩辛が大変いける。朝からビールが欲しくなる。
牛肉の醤油漬けは味の濃い佃煮風味。
器は日本の有田焼に近しいとは母の弁。

それにしてもうっかりとキムチのお粥を頼んでしまったのはちょいと失敗。
お粥もキムチ、付け合せもキムチで舌が痺れてしまった。
インドへ行くと何を食べてもカレー味になるが、あれにちょっと近い感じかもしれない。

ところで、朝鮮語も日本語もともに漢語をルーツに持つ言語である。いわば姉妹言語。

地下鉄の駅名にはハングル以外にちゃんと漢字表記も存在する。

ミョンドン→明洞
イチョン→二村

ふむふむ、音から漢字を類推することがなんとなくできる。
ちなみに「カムサハムニダ」の「カムサ」は「感謝」なんだと。
なるほどなあ。
店の売り子さんなどが発するハングルは本当に耳に心地よい。
多分、いらっしゃ〜い、とか、まいどおおきに〜とかそういう他愛ない意味の言葉だとは思うのだが。


夜は百済参鶏湯という店へ。
ソウルに行くと聞いて、皆が異口同音に絶対食っとけえと言ったのが、この「サムゲタン」。
若鶏に米、高麗人参などをつめて煮込んだスープ料理だ。

まずは例によってキムチの小皿が並ぶ。
どこの店でも必ず出てくるこのキムチ小皿は、いわゆる「お通し」なのだな。
ここでキュウリのキムチに初めて遭遇。ぽりぽり。


若鶏は白濁したスープに沈んでいた。
鶏肉もスープも非常にあっさりした口あたり。
ナツメの意外な甘さがアクセントになって面白い。
これ、大変に美味。
薬膳効果も期待できるらしく、参鶏湯を食べていれば風邪などもひかないのだとか。


昨日の海鮮鍋もそうだったが、唐辛子の辛さを除けば、韓国料理は存外あっさり味がベースになっているのかもしれない。
この辺り和食に通底するものを感じる。


三日目。
水源、スウォンという街まで遠足。

立ち寄った駅ビルのフードコートで見たもの。
家族連れが、昼間っからガンガンキムチ食べてます。
我々の隣に座っていた母子は真っ赤なチゲでせっせと白飯を頂いている。
つけあわせは当然キムチ。

そのフードコートのメニューにはハンバーグとか、グリルドチキンとか、そういうウェスタンフードもちゃんと用意されているのだ。
実際ハンバーグを食べる若い女性の姿を見た。
しかし、大方の人間は自国料理とキムチを食べる。
そういう光景を見るとなんだか嬉しくなってしまう。


その日の夜はサムギョプチュナという店へ。
ついこの間まで僕がやっていたバンドのメンバーがお勧めしてくれた「サムギョプサル」という料理を求めてやってきた。

要は豚の焼肉である。
まず、豚の三枚肉と白菜キムチ、大蒜などを鉄板で焼く。
豚に焼き色がついてきた所で、例によってお姉さんがハサミを入れてくれる。
鉄板は斜めに傾いていて、肉汁が流れて四つ角の穴へ吸い込まれていく。余計な脂を流してヘルシーに、という訳だ。

焼きあがった肉片と、キムチ、細切りのネギ、赤い味噌などをサンチュという葉っぱにくるみ、ひと口でほお張る。
熱い!そしてうまい!これはビールがすすむ。

豚肉の脂を流した上に野菜と一緒に食べるものだから、そのしつこさがうまく中和されているのだ。
調子が出てきたのでオーギョプサルという五枚肉を追加。

ついでにビールも追加。
ソウルでは「hite」と「cross」という二つの銘柄にお目にかかったが、僕は後者の方が好みだ。

至福につつまれながら、イルミネーション煌くソウルの街を宿へと歩く。
中心地の広場にルミナリエそっくりの電飾を発見。
電飾に丸く囲まれた広場はアイススケートのリンクになっているのだった。


四日目。
南大門市場の簡易食堂へ。
石焼ビビンバと細麺。

またしてもキムチがずらあっと。キムチ。

尾篭な話で恐縮だが、今朝方、お通じを済ませた後に、僕は個室でしばし考え込んでしまったのであった。

「赤い…」

赤いのである。そりゃ三日三晩キムチを食い続けりゃねえ。


食堂のおばさんが元気に言う。
「キムチのお代わりしていいからね!」

まだキムチを食わせる気か?
白飯じゃなくて、キムチがお代わり自由なのか?


かの椎名誠氏は、インドにおけるカレーは日本における味噌汁のような位置づけにあるのではないかとの仮説を立てた。
であれば、韓国のキムチもまさしくそれに当たろう。

明洞には外資系の飲食店も沢山あり、結構な人でにぎわっているのだが、彼らは毎日毎日ハンバーガーやらリブステーキやらを食べて暮らしているのだろうか?

否。

水源の駅ビルで見た通りである。
朝から晩までキムチばっかり食べているに違いない。

我々日本人が三食味噌汁を飲んでも、それを何十年続けても飽きないように、彼らがキムチに飽くということはないだろう。

ちょっと大仰だけど、文化とはそういうものではないだろうか。

その日のうちに母は帰ってしまったが、僕は一人になっても、決して某ハンバーガーショップなどへは入らず、しっかりとキムチを食べ続けたのだった。


おまけ。
シンガポールへ飛ぶ大韓航空機の中で。
青磁色の制服に身を包んだ美しいアテンダントがこう訊ねる。

機内食はビビンバになさいますか、それとも…

ビビンバ、プリーズ!
即答。

エコノミーの狭いシートで、隣の人にひじをぶつけないように気を使いながら、せっせせっせとビビンバをかき混ぜる。
絵の具みたいなチューブをひねると、真っ赤なコチュジャンが出てきた。

最期まで念の入ったことである。





21:17:18 | ahiruchannel | 4 comments |