Complete text -- "週刊金曜日責任編集 行ってはいけない! 3"

21 April

週刊金曜日責任編集 行ってはいけない! 3



翌日からビザ待ちの為だけの生活が始まった。
僕の一日の生活費は15$が上限なので、宿代に12$半も取られてしまってはどうしようもなかった。

日に一度、バスに乗って市内まで出る。
ぶらぶらと公園を散歩し、帰りにスーパーでパンと缶詰とビールを買った。
アルマトゥで安いのはバス代だけで、その他の物価は日本とあまり変わらない。
間違っても外食なんて真似はできず、一本のビールだけがほとんど唯一の贅沢だ。
パン、缶詰、バザールで買ったキュウリとトマト、チーズ。
そういう食生活が一週間以上続いた。わびしいことこの上ない。
しかも、ビールがあまりうまくないのだ。
ロシア産だからなのか、とりあえずビールはビールというだけのビールだ。
温かくて美味しいものを好きなだけ食べられた中国の旅を懐かしく思い出す。

僕は2日に1度、宿の女将に3000テンゲずつ払い込んだ。
何もしていないのに所持金がじりじりと目減りしてゆく。
それに反比例するかのように、ビールの空き瓶と退屈さとが増えていった。

観光すればよさそうなものだが、哀しいかな、アルマトゥは典型的なロシア式地方都市で、見るべきものは何もないのだ。
一度だけ、試しに民族楽器博物館という場所に入ってみたが、酷いものだった。
客は一人もおらず、照明もあらかた落とされていて妙に暗い。
展示の仕方もお粗末そのもので、貴重な文化遺産を全世界に向けて公開し、伝統文化の保存に寄与したいというような意志は微塵も感じられない。
ただどこかから楽器をかき集めてきて、間に合わせにそこに並べてみましたというだけのことだ。
僕は民族楽器のフォルムや奏法といった事柄にはかなり興味があるのだが、説明パネルはロシア語だけなので何がなんだかさっぱりわからない。
これは弦楽器だなあとか、この弓で弾くようだぞとか、そういうことがぼんやりと分かるだけだ。

他には公園にロシア正教の教会があるのと、パンフィロフと祖国戦争(対独戦争のことをロシアではこう表現する)のモニュメントがあるくらい。
半日で全て見終えてしまう。

と、まあそんな感じで時間を右から左へうっちゃりながら、僕は灰色都市の、灰色の建物の灰色の部屋で、灰色になって垂れ込めていたのだった。
改めて旅というのは暇じゃないとできないなあ、と思う。


アルマトゥに入って11日目、ようやくビザ受領の日を迎えた。
宿をチェックアウトして領事館へ向かう。
なるべく早い方がいいだろうと考え、14時には領事館に着いたのだが、既に黒山の人だかり。
この間と同じ、人相の悪いチンピラ顔のポリ公が警棒を弄んでいる。
ウェイティングリストは?と訊くが、そこで待ってろと、またしても同じ反応。
これは今日中の受領は無理なのではないか、という気がふとする。

申請待ちの人々の中にはパッカーもいた。
アメリカ人とオランダ人。
旅行者に会うのは本当に久しぶりだ。というか、まともに人と会話するのが久しぶりなのだが。

彼らはもう3日ここへ通っているが、領事館へ入ることはおろか、申請用紙すらまだもらっていないのだと言う。
オランダ人の方は気長に待つしか仕方がないと諦めている風だったが、アメリカ人はこの事態に全然納得できない様子。
口角泡を飛ばしつつ、ロシア式のいかに不合理な事かについて演説した。

2時半に来いというからその通りに来たら、3時まで待て。
3時まで待ったら4時まで待て。4時まで待ったら5時まで待て。
5時になったら明日また来い、だぜ。
一体全体どうなってんだこりゃ?
なあ、あんた。
なんでこんなことがまかり通るんだと思う?
日本でそういうことってあるか?オランダは?
ないよなあ。
俺の国でももちろんないよ。
なのに、なんでここはそんな風なんだと思う?
奴らが阿呆だからだよ。
阿呆の集まりなんだ。
俺は労働者を尊敬するよ。
例えばあそこで今ビルを建設してるよな。
俺は工夫を尊敬する。物売りでも掃除夫でも何でもいいんだ。
尊い労働をしてる連中だ。
だが、ここのポリ公どもは阿呆だよ。阿呆でクソッタレだ。
権力を傘にきて遊んでやがるんだ。
見なよ、あのポリ公。笑ってやがる。
勤務中に白い歯見せて笑ってるんだぜ。
奴らはゲームをやってるんだ。クソッタレめ。

彼の言うことはいちいちもっともだし、僕もおおむね同じ感想を抱いていた。
ビシュケクへ移動して、そこで申請した方が早いんじゃないのか?と提案してみた。
だが、ここでもロシア式の登場。
かの地では申請条件が異なるらしく、レターだのインビテーションだのと、官僚主義の迷宮的に煩雑な手続きが要るのだそう。
どうして同じ国の同じビザを申請するのに、場所によって申請方法が異なるのか。
彼はこの点にも納得できないようだった。

官僚主義で事大主義。
政府も内務省もポリ公も全部が阿呆だから、実務レベルでの運用方法が100通りくらいあるんじゃないかな、と僕は意見を述べる。

本当にその通りだよなあ、とアメリカ人。
オランダ人はただニコニコと我々の話を聞いているだけだ。
お国柄と言うべきか。


この日はどういう訳か、領事が勤務時間中にどこかへ出かけていってしまい、我々はただ無為に時間が流れ去るのを見守るだけだった。
15時になり、16時になっても誰一人領事館へは入れない。

アメリカ人はその間も文句を垂れっぱなしだったが、とうとう周りにいるアフガン人に向けて演説をぶち始めた。

なあ、なんでこんなにいい加減なんだよここは?
領事は俺らが待ってるのに昼飯食いに行ってやがるのか?
アメリカ人が、日本人が、オランダ人が、アフガン人が、まともに扱ってもらえなくて怒ってるってことを領事に分からせなきゃいけない。
なあ、あんたそう思わないか?
俺なんか3日もここへ通ってんだぜ。


すると、アフガン人の内の英語のできる一人がこう言った。

でも、あたしらもう2週間ここで待ってるよ。


これにはさしものアメリカ人も一言もなかった。
僕もびっくりして息を飲んだ。

そこで、僕はようやくこの領事館のシステムを理解したのだった。
門番のポリ公と、領事館内での業務は全く連動なんかしていなかったのだ。
ポリ公が勝手に順番待ちリストを作り、ポリ公の裁量で人を中に送り込むだけ。
だから、領事は外で何人もの人々が何時間も何日も待っているということを知らない。
ただただ、入って来た人に対して機械的に発給業務を行っているだけなのだ。

僕が前回申請できたのは本当にまぐれだった。
その日、たまたま待ち人数が少なかったのと、ポリ公が気まぐれを起こしたという偶然が重なっただけだ。
だとすれば、領事館に入る為には「パスポート」が必要なはずだった。
もうひとつ別の「パスポート」が。

僕は訊く。
もしかして、あなた方は門番の警官にいくらかお金を渡したんじゃないですか?

その場にいたアフガン人全員が首を縦にふる。
思った通りだ。
領事館に入れるも入れないもポリ公の胸ひとつ。
当然、袖の下という話になるだろう。

なんてこった!クソッタレが!
アメリカ人が吼えた。

ポリ公にカネを掴ませても2週間も待つんだぜ。
何もしてない俺らが3日で入れるはずないじゃないか。
なああんた、あんたよく申請できたよなあ。
やっぱ日本のパスポートは違うのか?

僕は言う。
いや、この前は運が良かっただけなんだ。
僕もカネが必要だなんて知らなかった。
順番待ちリストに名前を書いて待ってれば、いずれは入れると思ってたんだ。
実際入れたしね。
ともかく、少なくともリストに名前だけは書かなきゃ駄目だ。
ここにいる皆は、順番待ちリストの順番待ちをしてるんだろう?

いや、名前なら書いたぜ。
俺も、オランダの彼も、今日14時前に来て書いた。
と、アメリカ人。

今度は僕が慌てる番だった。
ポリ公はリストの順番待ちをさせてるんじゃなかったのか。
この場にいる人々の中で、リストに名前がないのは僕だけらしい。

急いで門番小屋に入り、ポリ公に言った。
待つのは構わないから、せめてリストに名前を書いてくれないか?
しかし英語は通じない。

もともと悪い顔つきをさらに悪くさせて、ポリ公は怒鳴りだした。
外で待ってろって言っただろうが!

クソッタレめ。
僕は仕方なく門番小屋を出る。
もう今日ビザを受け取るのは無理だろうという気がする。

あいつキレやがったぜ。
そう僕が言うと、アメリカ人もオランダ人もアフガン人も大笑いした。
笑い事じゃないんだけどなあ。


しばらくすると、ビジネスマン風のインド人が現れた。
アメリカ人達とは顔見知りらしく、親しげに言葉を交わす。
なんだ、おたくらまだビザもらえないの?とか何とか。
彼の名前はアクバルといった。

僕はアクバルに訊く。
あなたは順番待ちリストに名前書いた?

もちろん書いたよ。
夜中の2時に来て書いた。だから私の順番は早いよ。

むむ。
僕はとことん甘かったようだ。
領事館の業務は14時半からだが、水面下の順番争いは12時間も前に始まっていたのだ。
当たり前だが、こういう事柄はガイドブックには載っていない。

だが、今日僕は受領するだけなのだ。
手続きが煩雑な申請とは違って、そこに一縷の望みがあるかもしれない。

悪いんだけど、僕の名前をリストに書いてくれるよう門番に言ってもらえないかな?
今日僕は受領なんだけど、あいつ英語がさっぱり通じなくて、待ってろ待ってろって言うばっかりなんだ。
リストに名前がないと、いつまで待っても無駄なんでしょう?

うん。
それじゃ駄目だ。私が話してあげよう。


アクバルはロシア語で門番に事情を説明してくれた。
ポリ公が、おやという顔をする。
何なんだ一体?
皆リストに名前を書くんだから、僕だけ名前を書かずに待つのは変だと思わないのだろうか?
アメリカ人の言う通り、阿呆なのだ。

アクバルが言う。
彼じゃなくて、ボスに頼まなきゃ駄目みたいだ。

連れ立って門番小屋へ入る。
もう一人ちんちくりんのポリ公がいて、そいつがボスなのだと。
顔も形も爆笑問題の田中に酷似している。
何かコスプレとかそういうのだろうか?

アクバルが自分の肩を指差した。
見ると、田中の肩には階級を表す星の徽章がふたつある。
僕を怒鳴りつけた阿呆のポリ公はひとつだけ。
なるほど、こいつはここのボスだ。


彼に言ってやってくれ。僕は今日受領なんだって。
アクバルが通訳してくれる。

田中はひとつ頷いてウェイティングリストを取り出した。
そして、パースポルトと言った。

僕はパスポートを彼に渡す。
これと全く同じ手続きが申請時にも行われたのだ。
初日はリストの存在すら教えてもらえなかったし、今日は今日で、こちらからあの手この手で働きかけないと名前も書いてくれない。
ポリ公はただただ阿呆なのだろうか、それとも恐ろしく計算高いのだろうか?

田中はしばらくパスポートをいじり回していたが、カザフビザのページで手を止めた。
レギストラーツィヤ?と僕に訊いてくる。

アクバルが間に入ってくれた。
ひとしきり田中と言葉を交わした後、事情を説明してくれる。

彼は、レギストラーツィヤができていないと言っている。
外国人は5日以内にオヴィールで登録しなきゃいけないんだ。

え?
その登録、日本人は要らないはずなんだけど。

再び田中とアクバルのやりとり。

いいや、全ての外国人に必要だと言ってるね。

何だって?
参ったな。今からオヴィールに行かなきゃいけないのか?


用語の解説をしよう。
レギストラーツィヤというのは英語でいうところのレジストレーション。
つまり外国人登録のことだ。
旧ソ連圏の国では悪しき官僚主義がいまだにはびこっており、その中のひとつにこの外国人登録がある。
オヴィールとは内務省の外事課の名称で、通常はそこへ出向いて登録をしなければならない。
ただ、実情は国によって様々であり、短期滞在なら登録しなくてもよかったり、宿が代行したり、制度が形骸化してしまって登録しなくても問題にされなかったり。
カザフスタンは数年前に登録制度が改正され、日本人は一月以内の滞在ならば必要なくなったはずだ。
ガイドブックでもウェブでもちゃんと確認した。

だが、この状況を考えるに登録制度は今も生きているらしい。
またもロシア式。
もうカザフに入ってから10日以上過ぎている。登録期間はとっくにオーバー。
困った。
今日中にビザがもらえると思っていたのに、厄介な話になってきた。

田中と何事かを話していたアクバルがおもむろに言う。

カネはあるかい?

はあ?

彼はこう言っている。
本来ならば法律違反で即通報しなきゃならないんだが、カネを払えば見なかったことにしてやる、と。
ついでに、領事が戻って来たらすぐに入れてやる。
知らん顔してビザをもらってから、オヴィールに出頭して手続きすればいい。


むむむ。
そう来たか。
カネを払っても2週間も待たされるアフガン人の顔が浮かんだ。
この場をしのいでビザを入手するには、他に方法はないだろう。
相手はポリ公なのだから、賄賂を拒めば法律違反で逮捕という展開もあり得る。

いくら必要なんだ?

それをアクバルが通訳。
馬鹿馬鹿しい。通訳つきの賄賂要求だと?
これはシステムなのだ。
末端まで腐敗しきった警察機構を支えるシステム。

7000テンゲだ。

うわ、高っ!
およそ60$。
毎日毎日出費を15$に抑えるべく倹約していたというのに。

5000しかないと言ってくれ。

それをまた通訳。

ハラショー、と田中。
クソッタレめ。何がハラショーだ。

僕は虎の子の5000テンゲ札を田中に差し出す。
奴は僕の目を見なかった。そそくさと札をしまいこむ。


だが、彼らのルールに従うより他ない。
なぜなら、ここは彼らの国だからだ。


門番小屋を出てアメリカ人に事情を話す。
レギストラーツィヤは今も必要なのか?

ああ。
俺のガイドブックは最新版だけど、必要って書いてあるな。
でも心配ないよ。それはあんたの責任じゃない。
だって宿はあんたのパスポートをずっと預かってたんだろ?
本来なら宿側で行うべきなんだ。
未登録は国境で見つかると大変らしいけど、明日オヴィールで事情を話せば大丈夫だろ。
まあ、ちょっとくらい罰金取られるかもしれないけどね。

そんなに簡単に済むだろうか…?
ともかく、予定は狂ってしまった。
ビザが取れ次第ウズベク国境へ向かうはずが、もう一泊して出頭しなければならなくなった。


やがて17時になり、領事がやっと戻って来て業務は再開。
僕は約束通り真っ先に領事館へ入れてもらい、正規の登録手数料15$を支払ってめでたくビザは発給された。

よい旅を、と笑顔で言う領事。
こいつは外で行われているポリ公どもの汚職を知らないんだろうな。

建物を出て、アメリカ人らと別れる。
領事館業務は17時半までだから、おそらく彼らは今日も申請できないだろう。
ポリ公の言いなりにカネを払い、自分だけがビザをもらったことで、何だか彼らに申し訳ないような気がした。

グッドラック。
頑張れよ。




















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Comments

こーすけ wrote:

最近あまりにも引っ張るんで、オチをいろいろと妄想してます。。。。

ボーダー(ウズベキスタン国境??)で何が起こったんですか?

しょっぴかれた???掘られた??(このブログTAK氏のご家族の方見てたらごめんなさい。。。

今の展開バングラディッシュにおける僕の状況と同じです。ちなみにベンガル人の家にホームステイしてました。

地獄巡りでは負けないわよ(誇らしげに

最後のオチ(堕ち??)気になって眠れないっす。
04/22/08 02:23:09

ahiruchannel wrote:

>>こーすけ

こーちゃんベンガル人にほられたの?

イスタンブールの日本人宿の情報ノートに睡眠薬飲まされてほられた人の書き込みがあった。
すごく辛かったんだって。
気の毒だ。
04/23/08 03:46:52

こーすけ wrote:

あ、たしかに、まるで僕がベンガル人にホラれた感じの文章でしたね 笑 ご安心をお尻は無事ですよ。 

余暇中に辛い目にあいたくないですよね。
04/23/08 04:17:17

ahiruchannel wrote:

>>こーすけ

そいつは安心。
僕もバージンですよ。当たり前だけど。
04/27/08 05:18:39
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