Archive for February 2009

22 February

景 11 西オーストラリア

西オーストラリアの沿岸部はどこもだいたい似たような景色の連続だ。

広大な土地に背の低い樹木が生い茂るブッシュ。





ブッシュはオーストラリア固有の野生動物の宝庫でもある。
カンガルーのような大型動物との接触は深刻な交通事故に直結する。

特に動物達の活動時間である夜間の走行は大変危険だ。
皆口を揃えて「夜は走るな」と言う。







ブッシュの外側には紺碧の海と空の世界がどこまでも広がる。







何もする事がないこの国では、キャンプは娯楽の筆頭。
郊外の海沿いにはたいていオートキャンプ場が用意されており、人々はバーベキューにいそしむ。





歴史的な建造物はどこにもない。代わりに美しい無人のビーチはたんとある。
空の広さも他の国とは規模が一桁違っている。





どうです、なかなか退屈そうな国でしょう?
この退屈さが、存外心地よいのです。

18:24:11 | ahiruchannel | No comments |

04 February

そもそもの始まりは

二十歳の夏休みに初めて一人でよその国へ出かけた。


旅行社で航空券の手配をし、現地の友達へ国際電話をかけて居候の諒解をとり、パスポートを新しくし、スーツケースを買い、それを引きずって地の果てにあるような遠くの空港まで行き、そして飛行機に乗った。

行き先は西オーストラリア州パース。

そこで何をしたという訳でもなく、ただ毎日本を読み、楽器を弾き、暇を持て余したらちょっとパース近郊をぶらぶらする、そんな生活を一ヶ月ほど続けた。

だからこれはどのような意味合いにおいても旅ではない。
ただ、一人で海外へ出てみたというだけの事だ。







オーストラリアという国の選択にも大した必然性はない。
子供の頃に短期ステイで訪れた事があって、現地に友達がいるというのが唯一の理由らしい理由だった。

こう言っちゃなんだが、オーストラリアというのは基本的にたいへん退屈な国である。

「金の北米〜」というフレーズをご存知だろうか?
古くから日本人パッカーの間で呼びならわされて来た旅の言葉だ。

金の北米、女の南米、耐えてアフリカ、歴史のアジア、ないよりマシなヨーロッパ。

歴代のパッカー達が旅の力点をどこに置いて来たのか、実に簡潔かつ明瞭に物事の本質を突いていると思う。
その文脈でいくと、オセアニアなんかは「論外」という事になるはずだ。
エントリーすらしてもらえない。

10年余の後に、その退屈さを求めて移り住む事になるだろうとは、当時は夢にも思わなかった訳だが。







だが、そもそものきっかけ、つまり僕があっちこっちふらふらと旅ばかりするようになってしまった最初の動機付けはこのオーストラリアという国で起こった。

ある日、友達が水族館へ行こうと誘ってくれた。
異国にあるとはいえ、さすがに僕も代わり映えのしない日々にややウンザリし始めていたので二つ返事でついて行った。

西オーストラリア随一と謳うだけあって、なかなかの規模の水族館だった。
(今はどうなっているか知らないが)パイプ状の水槽が縦横に走り、その中を巨大なサメやエイが泳ぐ。
そして、海洋と直結したプールでのイルカショーが目玉だ。
イルカはよく訓練されており、我慢強く、頭が良かった。(今やオーストラリア中に溢れ返っている某国のろくでもないワーキングホリデーメイカー達よりもよほど頭が良いと、僕は個人的に思う)
元来がひねくれものなので、そういうのを見るとうさん臭く感じてしまうのだが、イルカに罪はない。

総じて、水族館は楽しかった。

でも、言っちゃえばそれだけだ。
水族館が楽しいのは当たり前であり、それが日本以外の場所になくてはならない理由はない。

結局、自分は一体何を求めているのかが分かっていなかったのだ。
漠然とした違和感を感じながらイルカのハイジャンプを眺めていた。





ところが、運命というやつは曲がり角のすぐ向こう側で僕を待ち構えていた。

昼食を食べに入った食堂の天井には世界地図が描かれていた。
それは一風変わった地図で、要所要所に有名な観光地の立体模型が配してあるのだった。
例えば、ヨーロッパとおぼしきあたりには「エッフェル塔」が突き出ており、アフリカ大陸の北部には「ギザのピラミッド」、東南アジアには「アンコールワットのバイヨン寺院」が生えているといった具合だ。
無論中国には「万里の長城」があり、インド亜大陸には「タージマハル」があった。何しろ10年以上前の事なので記憶が定かではないが、結構よくできた精巧なミニチュアだったと思う。

僕はタージマハルの白さにすっかり魅入られ、首が痛くなるまでずっと天井を見上げていた。
そんなものを熱心に見ていたのは僕だけだったようだ。
友達に声をかけられるまで僕の意識は想像力の彼方へと飛翔していた。

その時に、僕がぼんやりと考えたのはこういう事だ。

「そうか。これから俺はこういうものをいくらでも見て回る事ができるんだな」

天啓というような大げさなものではない。雷に打たれとか、はたと悟ったとか、そういう事では決してなく、ただただ茫漠と、世界を旅して回る可能性に気づいた。
今にして思えば、この瞬間が全ての始まりだった。



それから現在に至るまで、僕は何十という国々を歩き回り、憧れのタージマハルやアンコールワットはもちろんのこと、その他多くの物を自分の目で確かめた。
チベットにも行ったし、シルクロードも横断した。
ないよりマシなヨーロッパとは言いつつも、ほとんどの国を訪れた。


なぜそんな風になってしまったかと考えた時、まっすぐに思い出すのは、あの昼下がりの水族館の食堂だ。

あの部屋で僕は世界に出会った。







おっと。
あの言葉には続きがあるのだ。

金の北米、女の南米、耐えてアフリカ、歴史のアジア、ないよりマシなヨーロッパ。

豊かな青春、みじめな老後。


19:04:11 | ahiruchannel | 2 comments |