Archive for July 2008

21 July

景 3 沈没の地


ハンガリー・ブダペスト 「市場」


ハンガリー・ブダペスト 「くさり橋」


ハンガリー・ブダペスト 「楽器店」


ハンガリー・ブダペスト 「ドナウの真珠」


ハンガリー・ブダペスト 「中庭の少女」


ハンガリー・ブダペスト 「スウィーツ」


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12 July

after hours 2

用意するもの。

ニンニク、鷹の爪、エキストラバージンオリーブオイル、アンチョビ、ケッパー、黒と青のオリーブ、ホールトマト缶、塩、パスタ。

鍋に水をなみなみと満たし、強火にかけて沸かす。
ニンニクは縦に割って芯を取り除き、厚さ1ミリ弱のスライスに。鷹の爪は輪切りにして種を除く。
湯が沸いたら塩をどさっと放り込み、パスタを投入。よく言われる事だが、茹で汁は海水と同じ濃度とするのが好ましい。
フライパンに香り高い新鮮なオリーブオイルをひき、ニンニクをいれて弱火にかける。この際、ニンニクがこげないように細心の注意を払う。
スペインにはこんな諺があるそうだ。ニンンクは悪い子と一緒、目を離すとすぐにこげてしまう。
ニンニクの周囲が泡立ち、よい匂いがしてきたところで赤唐辛子を入れ、さらに油に香りを移す。

ニンニクがこげ始めるかどうかという瀬戸際でパスタの茹で汁を入れ、フライパンをゆする。
水と油が混じり合って白濁したようになる。胸躍る瞬間だ。これを乳化現象と呼ぶ。
学生時代、このタイミングを見極めるまでに、何百回となくアーリオオーリオを作ったものだ。

アンチョビ、ケッパー、オリーヴを入れてざっくり混ぜた後、トマトを手で潰しながら入れる。火を若干強くして、煮詰める。
パスタは芯が少し残った状態「アルデンテ」がよいとされるが、茹で上がりがちょうどアルデンテでは意味がない。
余熱で芯がなくなってしまうからだ。心持ちまだ固いかな?というところでざるにあける。
口に入る頃にアルデンテになるようにちゃんと計算しなければいけない。一瞬たりともパスタ鍋から目が離せない。

僕は、だから、テレビを観ながらパスタを茹でるようなデリカシーのない女は嫌いだ。

よく水を切ってからソースの入ったフライパンへ。麺とトマトソースを手早くからめる。この行程を「パスタを溺れさせる」と言う。
以上で、プッタネスカ、または娼婦風パスタのできあがり。

すりおろしチーズをかけるのは、せめて一口食べてからにして欲しい。ニンニクとトマトの香りが消えてしまって台無しじゃないか。
パスタといえばチーズ、ピッツァといえばタバスコ、唐揚げといえばカットレモンと、なーんも考えんとすぐにふりかけるアホな女が、僕は嫌いだ。

さて、僕はどうしてこんなことを長々と書いているのか?
中島らもの遺作「ロカ」には、主人公ルカ翁が愛用のダブルネックギターの弦交換を延々と行うという、ほとんど紙とインクの無駄使いとも思われる冗長なシーンがある。
僕もまた、ブログのネタもなくなってきて、文章の為の文章を書いているのだろうか?

否。そうではない。
その時、僕はハンガリーの首都ブダペストにいた。
きっちり二週間。僕は毎日毎日、飽く事なくパスタを作り続けたという記録の為の文章だ。

僕の前世はボローニャのさる田舎貴族だった。
…かどうかは知らないが、僕はパスタという料理が大好きだ。
もちろん食べるのも好きだが、どちらかというと、パスタを作るという行程「そのもの」に魅せられているような節がある。
料理を音楽に例えるのもありきたりな話だが、素材の良さを引き出しながら、確固たる方法論と、ほんのちょっとのひらめきを用いて、理想とする味に到達する様はどこかしら編曲という作業に似ている。
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのカルテットを基本形とし、そこに何を足していこうか。アレンジメントの可能性は無限だ。
そこには密やかな喜びがあり、癒しがあり、挑戦がある。大げさな話だが、パスタ作りはある種の自己療養行為ではないかとさえ思う。
ニンニクが、オリーヴオイルが、赤唐辛子が、混ざりあって発する馥郁たる香が、静かに心を揺さぶる。

ブダペストとはどんな街だ?
鎖橋があって、丘の上に王宮があって、カテドラルがあって、温泉が有名で、バルトークプログラムが毎日どこかで上演されていて。
ドナウの真珠とも呼ばれる、中欧観光のひとつのハイライトには違いない。
だが、僕は最初の数日だけちょこっと街を見て回ると、後はろくに出歩きもしなかった。
そして、宿にこもってせっせとパスタを作り自己の療養に励んだという訳だ。

ほとんどの人は毎日精力的に歩き回り、名物料理を食べ歩き、オーストリアへ、クロアチアへ、チェコへ、次の目的地へとすぐに旅立ってゆく。
それが旅人としてのまっとうな在り方だと、僕も認める。
だが、そうでない人々もいる。
ひとつところに長く、短期旅行者の感覚ではちょっと考えられないくらい長く留まり、毎日何をするでもなく朝を迎え、日暮れをやり過ごす類の人々だ。
その街の、あるいはその宿の何かが旅行者を惹き付ける。ここにしばらく居てもいいなと思う。最初はそんな軽い気持ちだ。
だが、滞在が3日5日と長くなるにつれ、腰をあげるのが次第に億劫になってくる。
明後日のバスでここを出よう。次の水曜日には必ず出よう。来週になれば…。
ここでは時の流れは均一ではない。
あれもこれもと観光して回っている内は一日は意外なくらい長いが、何もしないでいるとあっという間に夕闇が迫る。
昨日と今日の見分けがつかなくなり、明日と明後日が峻別できなくなる。時間を右から左へと見送るという行為が麻薬的な心地よさをもたらすようになる。
そして、動けなくなる。もうどこにも行けない。
バックパッカーの間では、この現象は「沈没」と呼ばれる。

そう、僕は沈んでいる。
そこで何をしているのか?
海の底で、あぶくを立てながらただただパスタを作っているのだ。

朝はだいたい11時頃まで寝ている。寝ているというか、惰眠をむさぼっているというか。
まっとうな勤め人が見たら即射殺したくなるような自堕落な生活態度である。
目が覚めると、何はさておき近所のスーパーへ行く。朝ご飯の買い出しだ。
邦貨にして15円くらいの丸いパンを二個、小分けにされたバターと蜂蜜、そして牛乳。
蜂蜜は一冬越したのだろうか、小さなプラスチックの容れ物の中ですっかり固まってしまっている。
茶碗に湯を注いでその容器を放り込む。TVの画面を見るともなしにぼけっと眺めながら蜂蜜が溶けるのを待つ。
一分一秒を争う朝の勤め人が見たら大砲でも打ち込みたくなるような呑気な光景である。
パンをちぎり、バターと蜂蜜を塗りつける。ゆっくりと口へ運ぶ。
この食べ方はトルコで覚えたものだ。パンの質は比べるべくもないが、それなりに満ち足りた気持ちになる。

朝食が終わると正午過ぎ。昼飯の間違いじゃねえのか。いいえ、朝ご飯です。
当然の事ながら、まともな旅行者はせっせと観光している時間帯だ。
キッチン兼リビングには、僕と、同じく沈没している長期旅行者が一人二人いるだけ。
似た者同士の連帯感のようなものも微かながら漂っている。
長椅子に寝転がって本を読んだり、暇つぶしにインターネットをのぞいてみたり、埒もない会話をしたり。


東欧に入ってからここまでどうやって来たんだっけ?
弛緩した頭で記憶をたどる。

そう、最初はチェコだった。プラハ、チェスキークルムロフ、オロモウツ。
チェコではビールは水より安いとよく言われるが、それは半分くらい事実だ。少なくとも、ブリュワリーで飲む場合コーラよりもビールの方が安い。
ピーヴォベルキ!(ビール大ジョッキ!の意)これが唯一覚えたチェコ語である。
ビールのあてに食べたプラハソーセージもうまかった。だいたいがビールの思い出しかない。

ブドヴァイゼルという代表的な銘柄がある。ここの工房で修行したアメリカ人が母国へ醸造技術を持ち帰り、同じ名前で売り始めた。
英語風にはバドワイザーと発音されるそれが、瞬く間にアメリカ中を席巻するビッグヒットとなった。
しかし、この夢のように美味いビールと、あの馬の小便との間にどのような因果関係が認められるのか僕にはさっぱりわからない。
その醸造技師はよっぽどボンクラだったに違いない。お前、一体何を学んだんだ?

続いてポーランドに移動。
アウシュビッツを見学する為だけに立ち寄ったようなものだ。
犠牲となった人々の遺品の展示が目を惹く。眼鏡、靴、鞄、衣類などが堆く積み上げてあるのだ。
持ち主の不在が逆に不気味な存在感を放つ。
中でも女性から刈り取った髪の毛の大量展示は圧巻だった。骸骨なんかよりもよほどリアリティがある。
陰鬱な気分になるようにある程度計算して作ってあるのだろう。まんまと気分が悪くなる。
新鮮な空気を求めて戸外へ出ると、そこにはイスラエル人の修学旅行生達がいた。なぜそうだと分かったかというと、全員が自らの国旗を背負っていたからだ。
それを見ていっそう気分が悪くなる。

クラクフでは地元の学生と仲良くなった。

こんな国に一体何しに来たんだい?
例えば僕らがトーキョーに憧れるのは分かるけど、ポーランドなんか来たって仕方ないだろうに、と彼は言った。
なかなか気さくな青年だった。

この国の代表的な料理と言えば、やっぱりビエロギかな。餃子のことだよ。
僕らはロシア風ピエロギって呼んでるけど、ロシアでは同じ物をポーランド風ピエロギって呼ぶんだよ。不思議だね。
ちなみに、ほとんどのポーランド人はロシアが嫌いなんだよ。それはもう伝統的にそうなんだ。

なるほどね。共産主義陣営なんて言っても全然一枚岩じゃなかった訳だ。

お次はスロヴァキア。
クラクフからコシツェ経由でハンガリーに抜けたかったのだが、アクセスが悪く断念。ブラチスラヴァに向かう。
ほとんど何も思い出せないような印象の薄い街だった。何かあったっけ?

そして列車でブダペストへ。
今回は前もって宿を予約してあった。ヘレナハウスではない方の、新しい方の、評判の良い方の、日本人宿。アンダンテホステル。
この場を借りて宣伝しておきます。いいですよ、アンダンテは。

ヘレナ婆さんに出くわすとちょっとまずいことになる。ブダペストに戻って来たら泊まりますなんて言っちゃったからだ。
列車は正午過ぎにブダペスト東駅へ到着。
昼飯時だし、婆さんもご飯を食べてるに違いない。そういつもいつも駅に張り付いてる訳にもいかないものな。
果たして、扉が開くとそこに婆さんはいた。げっ!なんでよりにもよってこの車両のドアの前に立ってるんだ?
だが幸い、僕は帽子を目深にかぶりサングラスもかけていたので気づかれずに済んだ。こういう事態を予想して変装していたのだ。
すまない、婆さん。別の日本人を捕まえとくれ。


そんな訳で、僕はここにいる。もうこの宿へ来て何日目だ?
時計の針は15時。小腹が空いてくる時間帯だ。
昼飯の買い出しに近所のスーパーへ。「カイザー」という名のこの店、僕はブダペスト滞在中30回は通ったと思う。
買い物ということが好きなのだ。一度にまとめ買いすれば済むところだが、わざわざその都度買い出しに行く。
さて今日は何を作ろうかなと、わくわくする気持ち。それを毎回味わいたいのかもしれない。

だが、何を作ろうかなと思案するほどのことでもない。パスタを作ると決まっているのだ。
昨日はカルボナーラを作ったし、一昨日はキノコとベーコンの和風パスタを作った。肉屋でベーコンの塊を買い込んだので必然的にそうなった。
今日は趣向を変えて、トマトベースの娼婦風パスタにしよう。


宿にはひと月以上に渡って滞在し続けている主(ぬし)のような旅行者がいる。
旅行期間は長く、それだけでもなかなかの貫禄なのだが、その怪異な容貌がことさら目を引く。
旅に出てから伸ばし続けているという黒髪と髭。某カルト教団の教祖に瓜二つである。
東京拘置所にいるのは影武者で、本物がお忍びて旅行に来てるんだよ、というのが定番ギャグだった。
歳は30代半ば、なかなかの教養人であり、旅行経験も豊富だ。その独特のキャラクターと相まって、宿のアイコン的存在となっている。

彼も自分で料理をするタイプの旅行者だが、僕などよりはるかに本格的で、その内容は多岐に渡った。
中華食材屋で仕入れたという昆布で出汁を取り、うどんを打ち、炊き込みご飯やかき揚げを作った。豚肉を叩いて衣をつけ、ウィンナシュニッツェルを揚げた。
それが余ったら卵でとじてカツ丼にしたし、おやつの時間にはポテトチップスまで作った。要するに暇なのだ。
僕も何度かごちそうになった。
彼もまた料理を通じて自己の療養を行っていたのだろうか?


昼飯が終わってまたしばらくうだうだとやる。まったく気楽なものだ。
ただ、飯食って寝るだけの一日はあまりといえばあまりだ。そこで、ささやかながら日課に取り組むことにする。
毎日18時頃になると、僕はギターケースを抱えていそいそと中庭に出る。
ベンチに腰掛け、演奏に必要な筋肉を入念に伸ばす。腱鞘炎は演奏者の大敵だ。
弦を調律し、一時間くらいかけて準備運動をする。スケール練習、ブロークンコードにソルフェージュ。率直に言って、かなり退屈な練習だ。
かのルドルフゼルキンは、大家としてあらゆる名声を手に入れてなお、何時間にも及ぶスケール練習を毎日欠かさなかったという。
これが、一家を成す者と成さぬ者の違いである。むろん、そもそもの才能に何万光年もの開きがあるのは言うまでもないが。

ヨーロッパは緯度が高いからなのか何なのか、日が沈むのがやたら遅い。ブダペストにいたその頃、日没は21時くらいだったか。
だいたいは暗くなって譜面が読めなくなるまで練習を続ける。
何もしない怠惰な日々にあって、決定的に駄目にならなかったのは、あるいはこの日課のお陰かもしれない。

夕食はいつも22時頃から作り始める。ここでも当然パスタ。
僕の前世はシチリアのさるマフィア幹部だった。
…かどうか定かではないが、パスタは毎日食べても全然飽きない。
あるいはアディクトというやつかもしれない。だいたい麺類は中毒性が高い。
もし僕が将来香川県に住むようなことがあったら、間違いなく讃岐うどんのアディクトとなるだろう。
そして終いにうどんを喉に詰まらせて死ぬのだ。きっとそうだ。


さて、主様に続いてもうお一方。
僕と同じ日にチェックインし、やはり10日くらい滞在した女性旅行者がいる。
歳は同じく30代半ば、面倒見の良いお姉さんといった感じ。
彼女とは後にクロアチアで再会し、その後しばらく道連れとなった。
とにかくしっかりした人で、1から10まできちんと準備をして旅をしている。その旅行鞄からは次々と旅のお役立ちグッズが飛び出したし、お陰で助けられることも多かった。
馬鹿重い譜面台なんかを鞄に入れてうろうろしている誰かとは大違いだ。あまりに当意即妙に物を出してくれるので、ドラミちゃんとあだ名がついたほどだ。

共にブダペストへ戻って後、僕はすぐにスペインへ飛んだが、彼女は宿のスタッフとなり本格的に長期滞在を決め込むことになるのだった。
彼女は僕と違ってポジティブで社交的な性格だったし、どこへ行ってもそれなりに物事をうまく運べるタイプの人だった。
きっと仕事でも有能な人材だったのだろうと容易に推測できる。
だが、ある時仕事を辞めて長い旅に出た。

僕も含めて、みな30代の長期旅行者である。
それは学生の旅行とは当然違うし、同じ長期旅行でも20代のものとも何かが決定的に違う。
長い旅に出る理由は人によって様々だし、その目的もそれぞれだ。
ひとつところに落ち着いてしばらくはうだうだとやっていても、しかるべき時が来れば次の目的地へ向けて旅立つ。
あるいは若々しい好奇心を失わずに純粋に旅を楽しむことだってできるかもしれない。
ただ、我々には一つの共通項がある。

僕らは、言うならば、一度終わってしまった人間なのだ。
本人にその自覚があろうとなかろうと、そうなのだ。

30代の働き盛りの健康な人間が、一年も二年も海外をほっつき歩くというのは、どう考えてもまともな行為ではない。
まっとうな勤め人ならば、それを「ドロップアウト」と呼ぶだろう。
口には出さないが、皆それぞれに何かを抱えている。当たり前だ。30年以上も生きているのだ。
あるいはその「何か」のせいで日本に居ることに耐えられなくなったのかもしれない。


ある晩、イギリスに留学しているという短期の学生旅行者と主様の間で、チベット問題に絡むちょっとした議論が始まった。
無邪気にフリーチベットを主張する学生に対し、フリーにしたところで経済的に自立できるはずもないではないかというのが主様の論点だった。
かたやまっすぐに熱く、青臭い叫びをやる若者、かたや悟りきったようにシニカルでペシミスティックな主様。二人の声のトーンは次第に上がり、議論はヒートアップする。
とにかく何か行動を起こさなきゃ始まらんでしょう、というのが学生の意見。やみくもに行動する前に、歴史に学んで物事を公平に見なきゃいけないと諭すのが主様。

だが、彼らのディスカッションに結論が見えるはずもない。なぜなら、それはチベット談義に名を借りた、彼らの生き方そのものの議論だからだ。
若き理想に燃える学生と、一度何かが終わり、ハンガリーくんだりまでやって来て仮の宿りに身を寄せる長期旅行者。
僕には主様の気持ちがよくわかった。
夢や理想というものが有効に機能するのは、人生のほんの一時期においてでしかない。彼は本当はそう言いたかったのかもしれない。


パスタをお腹いっぱい食べて、満たされた気分になる。
ビールの酔いも手伝って陶然となっている内に日付が変わり、一人、また一人と寝室へ引き上げて行く。
いつも夜中まで起きているのは僕と主様だった。明日の予定というものがないから、夜更かししても平気なのだ。


ブダペストでの安穏とした日々。僕はひたすらパスタを作り続けた。
究極的には、長期旅行というのは逃避の一形態である。いくらそこにロマンチシズムの衣をかぶせてみても、本質はそうだ。
逃避はできるだけ長く、遠くまで行くことが望ましい。
あるいは、沈没とはその逃避行からも逃避して一回りするというねじくれた回帰願望なのだろうか。
それとも逃避の末に訪れる魂の救済か。

表面的にはただの怠惰な日々であったとしても、それは見かけよりは深い意味を持った何かかもしれないのだ。
いずれにせよ、我々は逃避することによって、または逃避から逃避することによって(そしてパスタを作ることによって)何かを回復しているのだ。

そうでなかったら、誰が長旅なんかするだろう?


















































02:40:56 | ahiruchannel | 6 comments |