Archive for May 2008

23 May

健啖なる旅の胃嚢を充たす為に 3

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突然ですが、ここでトリビアクイズです。
世界三大美女といえば、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町。
では、世界三大料理といえば?

正解は、フランス料理、中華料理、そしてトルコ料理。
一体誰が何を基準に決めたのかは知らないが、そうらしい、です。

前者二つはよくわかるけど、トルコ料理ってなに?
全然イメージ湧かないんですけど、という向きもおありでしょう。

そんなあなたにお届けする「あひるCHANNELとトルコの幸せな食卓--ただし徹底的にB級グルメのみ」

おっと、読み始める前におやつを用意して下さいね。
かの光源氏の君は自らの涙で枕を浮かべる程だったというが、自らの涎で沈んでしまわぬよう注意して頂きたいものです。


さて、日本料理がスシ、イタリア料理がスパゲッティというように、シンボルとしてのトルコ料理は何だろうかと考えた時に、真っ先に思い浮かぶもの。

それはやはり「ドネルケバブ」ではないだろか。

本来は宮廷料理でありながらファストフードの定番メニューでもあるこのドネルは、トルコ国内のみならず諸外国へも大いに広まっている。
垂直に立てた鉄串に巻きついた巨大な肉の塊が、ぐるぐると回転しながらあぶり焼きにされている様を、あなたもご覧になったことがあるかもしれない。
肉の表面が焦げる香ばしい匂いがあたりに漂い、ジューシーな肉汁が受け皿にこぼれ落ちる。
刃渡りの長い専用のナイフでこれを削ぎ落とし、さらに受け皿の上で細かく刻んで客に供するのだ。
食堂ではつけ合わせと一緒に皿で出てくるが、屋台ならば野菜と共にパンにはさんで食わせるのが一般的だ。
肉にはあらかじめ香辛料やヨーグルトで下味がつけてあるが、最後にマヨネーズ、ケチャップ、チリパウダー等で味を調える場合も多い。硬派に塩をふるだけ、という店もある。

これに大口開けて喰らいつく。
溢れんばかりに具がつまっているので、こぼさないように注意されたし。
うむ。改めて考えるまでもなく、こりゃうまい。

惜しむらくはビールが傍にないこと。
トルコではアルコール類はレストランにしか置いていないので、屋台や庶民の為の食堂ではまず飲めない。
これでキリッと冷えたビールがあれば人生は完全無欠の薔薇色なのだが、何もかもうまくいく訳ではない。

そこで、代わりと言ってはなんだが「アイラン」を飲む。
アイランとは塩味のついた液体ヨーグルトのこと。
さしずめ、MEIJI飲むトルキッシュヨーグルトといったところか。
日本ではヨーグルトは甘いものと相場が決まっているので、最初は面食らうのだが、これが意外なくらい肉料理に合う。
飲み慣れると病みつきになり、やがては食事の際にアイランがないと何か物足りないということになってしまう。

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ドネルケバブは大まかに白と黒に分かれる。
店先で回っている肉塊が白ければ、それは鶏肉。黒ければ牛肉か羊肉だ。
路地裏にあるような小さなスタンドではどちらか一種類だけ、やや規模の大きい店では豪快に白黒両方が回っていたりする。

僕自身の好みで言えば、ドネルは断然羊肉に限る。
羊は臭いと敬して遠ざける人も多いようだが、肉は臭いからこそうまいのではないか。
チーズと同じだ。強烈な癖のあるナチュラルチーズの方が、どこか画一的なプロセスチーズよりも何倍も深い味わいがあるように思う。

羊と牛のドネルは一見して見分けがつかないので、僕は観光地を避けて地元民しか行かないような店で食べるようにしていた。傾向として羊率が上がり、値段は下がる。

ちなみにドネルスタンドは肉が無くなり次第営業終了だ。
朝はあんなに大きかった肉の塊が、夕方近くになるとやせ細って鉄串にわずかにへばりついているだけ、という状態になる。
僕はそれを見るたびにえもいわれぬ寂寥感にとらわれるのだ。
それが人生の黄昏を連想させるからだろうか。
あるいは単に腹の減り始める頃に肉がないことの哀しさか。


その他、串にささった焼肉であるシシケバブ、スパイシーなつくね串のアダナケバブ、ヨーグルトソースをかけて頂くイスカンダルケバブなども食堂で気軽に食べられる定番メニューだ。


ところで、ケバブは焼き物全般の総称であり、肉料理だけを指すのではないということを最近知った。
街頭には焼き栗売りがたくさんいて、売り子のおっさんが大声で栗ケバブいらんかねえ!と呼ばわっているのを聞いたからだ。

だから焼き魚も当然ケバブ。
という、完璧な前ふりで次にご紹介するのが、ガラタ橋名物、鯖のケバブ。

金角湾にかかるガラタ橋は旧市街と新市街を結んでいる。
正面に見えるのがガラタ塔で、コンスタンティノープルが陥落する以前、この辺りはジェノヴァ人の居留区だった。
エミノニュの波止場からはアジアサイドへのフェリーが発着し、近くにはエジプシャンバザールもあるという賑やかな場所だ。
僕はこのガラタ橋が大好きで、日に一度はスルタンアフメット地区から散歩がてら足を延ばす。
ボスフォラス海峡に釣り糸を垂れる人々、新鮮な魚を商う市場に住み着いた猫たち。
蒼い空をウミネコが行き交い、遠くスレイマニエジャミイの偉容を望む。
ここはイスタンブールが最もイスタンブールらしい場所かもしれない。

魚を焼くよい匂いがすると思ったら、それが鯖のケバブだ。
ドネルと同じくパンにはさんで食べるので、日本人旅行者の間では「サバサンド」の愛称で有名。
鯖の切り身がいくつも並んで炭火であぶられている情景は、心躍るものだ。
塩とレモンをかけるだけのいたってシンプルな味付けだが、脂が乗っていて本当に美味しい。
背骨は売り子が器用に取ってくれる。
ここに醤油がありさえすれば、と考える日本人は多いらしい。

かの深夜特急にもこのサバサンドは登場する。
長い旅の中で、日本から距離的にも時間的にも遠く隔てられてしまった筆者が、このガラタ橋でまた日本に近づいているような錯覚にとらわれるというくだりだ。
海を見たというだけで。魚を食べたというだけで。


ガラタ橋でもう一つよく見かけるのが、ムール貝の「ドルマ」売りだ。
ドルマというのは詰め物料理のことで、ナスやピーマン、トマトに肉を詰めたものがポピュラーだが、これはスパイシーなピラフをムール貝に詰め直したというもの。
直径50センチくらいの銀色のたらいにムール貝が積み上げられている。
売り子のおっさんに1リラコインを渡すと、貝殻を二つに割ってレモンを絞ってくれる。
それを一口でほおばる。
ムール貝の甘みと、米の胡椒っ辛さ、レモンの酸っぱさが渾然一体となり口中に広がる。
もぐもぐやっている内にもう一つ手渡される。1リラで2個食べられるのだ。(ツーリストエリアを離れると3個食べられる場合もある)
食べ終わったら紙ナプキンのサービス。
たった1リラでこれほど豊かな気持ちになれる食べ物も珍しい。
地元人もしょっちゅう立ち止まってはパカパカ食べている。だって美味しいもんね。
炊き込みご飯というところが日本人の感性にもマッチしているように思う。

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もうひとつ。
手軽に食べられる庶民派メニューとして「ピデ」をおすすめしたい。

小麦粉で練った細長い舟形の生地にひき肉やサラミ、トマトなどの具を乗せ、上からチーズをかけて石焼釜で焼き上げる。
ピデ専用の食堂もちゃんとあって、そういう店ではオーダーしてから生地を伸ばし始める。
焼きたて熱々のピデは大きすぎて皿に乗らないので、幾つかの断片に切り分けてくれる。
美しくとろけるチーズ。肉とトマトソースの奇跡的な邂逅。
しかしあくまでもB級グルメ。

ご想像の通り、これはイタリアのピッツァと全く同じコンセプトの料理だ。
いわばトルコ式ピッツァ。
あるいはピッツァがイタリア式ピデなのかもしれない。
どちらがオリジナルなのかは浅学にして知らないが、ピデもピッツァも共にギリシア語の「ピタ」を語源とするらしい。

ちなみに、トルコにはマントゥという名の料理もある。
漢字を当てるなら当然「饅頭」ということになろう。
これはヨーグルトソースがけラビオリ風といった一皿だが、小麦粉生地の中に具を詰めるという様式は饅頭に通底する。

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お腹がくちくなったところでお茶にしよう。

チャイ。

トルコの旅はチャイに始まりチャイに終わる、と誰かが言ったかどうかは知らないが、とにかく一日に何杯も飲むのは確かだ。
朝はもちろんチャイと共に始まるとして、店に入ればまあ座って一杯、フェリーの待ち時間にスタンドで一杯、昼食後にまた一杯、午後のおやつでもう一杯、長距離バスの中でもどうぞ一杯、という風に際限なくチャイが登場し続ける。
まるで利口な仔犬が傍に控えているかのように、日常のあらゆる場面で、そこにチャイはある。

真ん中のくびれた可愛らしいチャイグラス、受け皿に角砂糖は2個。
グラスが熱くなっているので、ふちをつまんで、すするように飲む。風情がありますなあ。

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一般に大陸アジアは茶の文化圏だと言われている。
中国はもちろんお茶大国。
人民はマイ湯のみを常に携帯し、お湯さえ手に入ればいつでもどこでもすぐに茶を淹れる。

今回、中央アジアでも緑茶が飲まれるということがわかった。日本茶にそっくりなので、なんだか嬉しくなってしまう。

インドではチャイと言えばミルクティーのこと。
ガンジス川のほとりでチャイを飲み旅情に浸る。
で、そのグラスを川の水で洗っているのを見てぐえっとのけぞるのもまた楽しい。
腹壊しても知らんけどね。

ネパール、パキスタンも同じくミルクティー。
ネパールのチャイは生姜がきいていて濃厚。

イラン、トルコはプレーンティーだ。
トルコではチャイグラスの中に砂糖を入れるが、イランでは角砂糖を口に含み、溶かしながら茶を飲む。
これがなかなかに熟練を要する技で、初心者は一杯のチャイで角砂糖を何個も消費してしまう。
ダイエット中の婦女子はイランには行かない方がよろしかろう。


チャイを飲みながら茶菓子にも手を伸ばそう。

「バクラヴァ」と呼ばれる伝統的なパイ菓子の蜂蜜漬け。
フォークで切ろうとすると中から蜜がとろりとしみ出してくる。
甘い。この上なく甘い。
この甘さが病みつきになってしまうのだなあ。
ピスタチオ入りやらチョコレート味やら色々とバリエーションがあり、見た目にも楽しい。

イランでもよく見かける「トゥルンバ」という小さな棒ドーナツもやはり蜜漬け。
口の中でさくさくの皮が決壊し、中から蜂蜜が流れ出す甘美なる瞬間よ。
ダイエット中の婦女子はトルコには行かない方がよろしかろう。

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庶民のための食堂は「ロカンタ」と呼ばれる。
カフェテリア形式になっていて、店頭にディスプレイ用のガラスケースがあり、欲しい料理を指差しで選べるのだ。

定番はやはり煮込みか。
羊肉や、ナス、芋、豆などをトマトで煮込んだ料理。
付け合せの「ピラウ」は米を油とスープで炊き上げたもの。
中央アジアではこの種の米料理は「ポロフ」と呼ばれていたが、どちらも「ピラフ」と同じ語源を持つであろうことは容易に理解できる。これは美味しい。

肉料理としては、羊肉のハンバーグである「キョフテ」が大変いける。
焼きキョフテに煮込みキョフテ。
キョフテ専門店もあるくらいで、トルコ人も大好きな一品だ。

バルカン半島ではこれと同じものが「コフタ」と名を変える。
その昔、オスマントルコが半島を支配していた時代に伝わったのだろうか。
インドにもコフタはあるが、こちらは肉に限らず団子状のものの総称のようだ。


心ときめく、素晴らしき料理の数々。
だが、僕が最も好きなのは実は朝食なのだ。
平均的なトルコ朝食の内訳は、チャイ、パン、キュウリ、トマト、黒オリーヴ、白チーズ、ゆで卵、となる。

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チーズは単体で食べるとちと塩辛いが、トマトと一緒に口に入れるとちょうど具合が良いことを発見した。
イタリアの前菜でトマトとモッツァレラチーズのサラダがあるが、あれにヒントを得た。
キュウリはあくまで瑞々しく、オリーヴ、卵もそれぞれに美味しい。

が、主役はあくまでもパンだ。

フランスパンをもっとずんぐりとさせたような形をした「エキメッキ」と呼ばれるこのパン、これがトルコの食生活には欠かせない。
どのロカンタでもエキメッキは無料でついてくる。
各テーブルには輪切りのパンが大量に入ったバスケットが置かれており、これは好きなだけ食べてよい。お代わりも自由。
エキメッキは法律で販売価格が一律に定められていて、ひとつ1リラもしないくらい安い。

僕はどこの国のパンよりもこのエキメッキが好きだ。
外側はパリッと香ばしく、内側はふわふわで口当たりが非常に軽い。
これにバターと蜂蜜をたっぷりとつけて食べるのだ。

バター&ハニー。

僕はかねがね思っていたのだが、この組み合わせを考え出した人にはノーベル平和賞を授与するべきではないだろうか。
(あと、明太子とパスタを組み合わせた人にもあげて欲しい)

バターと蜂蜜は見事なまでにエキメッキによく合う。
僕はすっかり浮かれてしまって、毎朝毎朝、気づくと巨大なエキメッキ一本をすっかり平らげてしまっているという有様だった。

この朝食を屋外で食べられれば最高だ。
4月の朝はやや肌寒い。
風を感じながら、温かいチャイグラスを手のひらに包み込む。
テーブル脇の樹木から花がはらはらと舞い落ちる。
チャイにも花が浮かぶ。
宿の親父は恐縮して詫びるが、そうではない。
日本人はこういう風情を好むのだよ。

時間はあくまでゆるやかに流れる。

あれ?
もしかしてこれは幸せというやつではないか?

さわやかな風と、一杯のチャイ、パンとバターと蜂蜜があればいい。
それだけで人生はかくも豊かなものになり得るのだ。
そう思わせるものが、トルコの朝には確かに存在する。


事ほど左様に、トルコの食卓は幸せなのであります。
毎日が幸せの繰り返し。
それは人々の胴回りにもはっきりと現れる。
トルコの若者は男女ともに美しい。スタイルも抜群。
それが、人生のある分水嶺を越えると、皆が皆、判で押したように同じ体型になってしまうのだ。
セイウチ。トド。

これは民族の血か?
それとも幸せの代償か?


ま、いいか。
ダイエットなんか明日からすればいいんですよ。










09:51:26 | ahiruchannel | 2 comments |

16 May

遅ればせながら、旅写真です。

過去のログにもさりげなく写真がつきました。
お暇でしたら探してみてください。




韓国・イチョン 「軒下」



韓国・イチョン 「氷湖」



マレーシア・クアラルンプール 「金曜モスク」



ラオス・ヴァンヴィエン 「渡河」



ラオス・ルアンパバン 「日干し」



中国・西安 「城壁」



中国・敦煌 「砂丘の寺」



中国・大理 「城門」



ウズベキスタン・ヒヴァ 「ミナール」



ウズベキスタン・サマルカンド 「霊廟」



ウズベキスタン・ヒヴァ 「女子大生?」




08:45:46 | ahiruchannel | 7 comments |

05 May

シルクロード小景




イラン・イスラーム文明が黄金期を迎えたサーマーン朝時代、この街は王国の都であった。

ブハラ。

サマルカンドと並び賞されるウズベキスタン観光のハイライトだ。
旧市街の中心部では基本的な建物の配置は2000年前と変わりないとさえ言われている。
著名な自然科学者、イブン=シーナらが活躍したのもこの街だ。

旧市街のカラーンモスクやミナールの蒼いタイル装飾がひときわ目を惹く。
カラーンとはタジク語で大モスクという意味であり、8世紀、アラブ人によってこの地に最初のモスクが建てられて以来、ここは常に金曜モスクが置かれてきた場所なのだ。
広場をはさんで向かい側にはふたつの蒼いドームをいただく神学校、マドラサがある。
両者の間に立つのがブハラのシンボル、カラーンミナールである。

ミナール、またはミナレット。
これは大抵のモスクの脇に立つ塔のことで、お祈りの時間になると呼びかけ人が塔上より礼拝の合図、アザーンを朗誦する。
キリスト教の教会に鐘楼が付属するように、モスクにはミナレットが欠かせない。
本来、祈りの時刻を人に伝えるのが目的なので、それほどの高さは必要なかったのだが、次第に権力の象徴となってゆき、高さや本数を競うようになっていったという。

現在、最も多くのミナレットを有するのはメッカのカーバ神殿で、その数は6本。
ほとんどののモスクには1本、多くても2本のミナレットしかついていないことを考えると、さすがにイスラームの聖地、総本山だと納得できる。
ところで、世界にはただ一つ、メッカと同じ6本のミナレットを持つことを許されたモスクがあるのをご存知だろうか?
それはイスタンブールのスルタンアフメットジャミィである。
内部の青い装飾タイルの美しさから、ブルーモスクの別称で親しまれているこの巨大建造物。
建立を命じた往時のスルタンの絶大な権力がうかがい知れる。


ついでだから、イスラーム四方山話を続けよう。

日本では、マスメディアの偏向放送と人々の知識の欠如のせいで、イスラームというと何やら狂信的でアブナイ人々という印象がある。
嘆かわしいことだ。

そもそも「アッラーの神」という言い方は完全な誤用である。
例えばインドの宗教的世界にはシヴァやビシュヌといった神々が存在するが、この呼び方だと、同じ文脈でワンオブゼムとしてのアッラーがあるように錯覚してしまう。
それが、イスラーム教徒たちは、アッラーの神という得体の知れないものを信仰しているという誤ったイメージへもつながっているように思う。

アッラーは文法的には「アル・ラー」とするのが正しい。
アラブ語でラーは神、アルは定冠詞だ。
これを英語に直訳すると、THE GODとなる。

つまり、ユダヤ教やキリスト教における唯一神とまったく同じ存在をイスラームでも信仰しているのだ。
さらに言うと、預言者ムハンマドは大天使ジブリール(ガブリエル)を通して神の啓示を受け、イスラームを創始したとされている。
ガブリエルとはいかにも意外な感じだが、三者とも出所が同じ兄弟宗教だという証だ。
ゆえに、イスラームではイエス=キリストをムハンマドと同じく預言者として規定している。
ムハンマドはキリストよりも後世に出た存在であるから、神の言葉を最終的に最も正しく預言できた、それがイスラームの成り立ちなのだ。


イスラーム建築は美しい。
中でも、ペルシア系の蒼い装飾タイルを用いた柔らかいフィギュアのドームは掛け値なしに素晴らしいものだ。
トルコ系の勇壮で力強いモスクも捨てがたいが、僕はペルシア系の女性的な建築がより好みだ。

ブハラの金曜モスクもこの蒼いドームをいただいている。
ここは有数の観光地でもあるが、現役のモスクとして現在も機能している。
僕が訪れた時はたまたま観光客が一人もおらず、お祈りにやって来た数人の地元民の姿があるだけだった。

正門から入ると、すぐに中庭に出る。
長方形の広場を取り囲むようにして四方に回廊が走り、正面にはドーム屋根の本殿がひかえている。
この本殿はメッカの方角を向いており、内部にはそれを示す壁のくぼみがある。
このくぼみはミフラーブと呼ばれ、その象徴的なアーチ型のフィギュアは建物の随所にデザインとして用いられている。

仏教徒は仏像に向かって手を合わせ、キリスト教徒は十字架に向かって頭をたれる。
そしてイスラーム教徒は、このミフラーブに向かってひざまずき、敬虔なる祈りを捧げるのだ。

祈りの場は神聖な場所だ。
異教徒たる僕は中に入るのを遠慮する。





薄暗い回廊を一人で歩く。
聞こえるのは鳥のさえずりと自らの靴音だけだ。
ミフラーブを模ったアーチが等間隔でどこまでも連なり、回廊の奥の闇へとまっすぐに続いている。

僕はいつしか異次元の回廊へと迷い込んだのだろうか?
前も後ろも、右も左も、すべて白い壁とミフラーブのシルエットを支える柱の連なりだけだ。
日の光はもう届かない。

完璧だ。
僕はこの完璧な空間を我が物としている。
延々と続くミフラーブの影のように、時は古より、この完璧な空間の浜辺へと、今、流れ着いた。

自らの内側に存在する静寂と、外側に存在する静寂。
両者が寸分の狂いもなく完全に一致し、やがて融解を始めるその時。

その、まさに、時の一点に、僕は遠くアザーンを聞いたのだ。

ラウドスピーカーによって拡声されたものではない。
肉声による昔ながらの正統的なアザーンだ。

誰かが、この回廊のどこかで、唄うように祈りの時を教えているのだ。
やがて、時はその流れを静かに止める。僕にはそれがわかる。

そっと目を開けると、僕は異なる場所にいた。
ここはどこだ?
僕はどこにいるのだ?

回廊に鎮座する首のない仏像たち。
昇ったばかりの陽光が壁面に長い影を彫刻してゆく。
それはアユタヤだった。
朝早くに訪れたその遺跡で、動くものは僕だけだった。

なぜ、僕はこんなところに?
時が止まってしまったから?

そう。
それはブハラのモスクでありながら、アユタヤの遺跡なのだ。
イスファハンの王のマスジッドであり、アントワープの教会であり、チベットの天の湖であり、僕が経巡ってきた様々な場所だった。

停止した時の中では、あらゆる完璧な瞬間が同時的に存在する。
全てはつながっている。
僕は、その完璧な一瞬の訪れを求めて、こうして旅を続けているのだろうか。





気がつくと、アザーンはやんでいた。
時はいつの間にかその機能を取り戻し、全てがそこから去ってしまった後だった。
円環が閉じる音が聞こえ、僕はその外側に立っていることを発見する。

あれは白昼夢だったのか?


お祈りを終えた人々が談笑しながら出てゆくところだった。
僕もまた、彼らに続いてモスクを後にする。

ミナールを見上げると、中空に高い陽光に目を射抜かれた。

ここはブハラ。
ここはシルクロード。













19:24:12 | ahiruchannel | 3 comments |