Archive for February 2008

22 February

耐えて中国

すっかり忘れていた。
中国はとんでもない国だった。

僕は北京や上海のような大都市へはいまだ行ったことがないので、そこがどんな様子だかは知らない。
かの地では、人々は儒教精神を大いに発揮してモラルと節度を重んじ、明るく住みよく、公共の福祉が充実した理想社会を築いていないとも限らない。
実際、「人民よ志高くあれ」というような意味の社会主義的スローガンは国中のいたるところで目にする。

しかし、僕に言わせれば、中国はどこまでいってもとんでもねえ国だ。





この国はとにかくやたらに広い。
我々島国に暮す民族の想像を遥かに凌駕して広い。

ラオスから国境を超えて雲南省へとやってきたのだが、山がちな地域ゆえ、移動手段はもっぱらバスとなる。
峠道をえっちらおっちら進むので、隣町までの移動がすぐに一日、二日がかりという話になる。
いきおい、バスに乗っている時間が旅程の大半を占めるという事態にもなる。

中国のとんでもなさを手っ取り早く味わうために、この長距離バスに乗ってみることをお勧めする。
いや、お勧めしない。

ひどいですよ、中国のバスは。
より正確さを期するならば、中国のバスがひどいのではなく、中国人が乗ったバスがひどい、ということになるのだが。

中国人のとんでもなさ、ティピカル四大特質について説明しよう。

一、列に並ばない
二、なにしろ声がでかい
三、所かまわず煙草を吸う
四、所かまわず痰を吐く

これらが、バスでの移動において華麗なる四重奏をかなでまくり、慣れない一般旅行者をてきめんに苦しめる。

中国バス的四重苦と名づけよう。

バスのことを中国語では汽車といい、列車は火車という。
(なんだか逆のような気がしないでもないけど)
バスターミナルは汽車站であり、バスチケットは汽車票。

まず、この汽車票の購入が困難を極める。
なにしろ行列を作れない中国人のことである。
ぼけっと順番を待っていても、その場で白骨化するまで汽車票は買えない。
割り込む輩がいないか常にあたりを睥睨し、獲物を狙う猫足立ちの構えをとり、服務員と目があったら有無を言わさぬ大声で即座に行き先を告げなければならない。

貴様ら、なぜに列に並ばない?

割り込みを注意する人など一人もいないし、そんなことをする前に自分が割り込んだ方がよほど話が早い。
ここでは割り込み=効率なのだ。



さて、どうにかこうにか汽車票が買えてバスに乗り込む。
人民の名誉のために、ひとつだけ中国バスの美点を挙げるならば、それはほぼ定刻通りに発車するということである。

何を当たり前のことを言ってるんだとお思いだろうが、アジアではこれは全然当たり前ではない。
アジアのバスは決して時間通りに出ない。バスのダイヤなんか全く意味がない。

これについては稿を改めてまた書くことにしよう。

バスはつづらおりの狭い山道をひた走る。
カーブが多く、対向車が全く見えない道でどんどん追い越しをかけるので、大変心臓によろしくない。
いったいにアジアのドライバーは運転が乱暴なことが多いが、中国とても例外ではない。

後ろの方で人民が大声を上げる。
びっくりして飛び上がるくらい大きな声だ。胴間声。
喧嘩が始まったのかと振り向いて見ると、みな笑顔。
何のことはない、普通におしゃべりしているだけなのだ。
同じ調子で携帯にも怒鳴りつけるようにしゃべる。

なぜにそんなに声がでかい?
別に実害はないのだが、心やすらぐチルな環境とはとても呼べない。


隣席の人民が煙草に火をつける。
斜めむこうの人民も紫煙をはく。
そのむこうの人民も、そのまたむこうの人民も。
男はみなこぞって煙草を吸う。
徹底的に吸う。フィルターが焦げるまでしつこく吸う。
そして床にポイ。火がついたままでもポイ。

なぜに車内で吸う?
煙たいどころの話じゃないぞ。

車内壁面には「禁止吸烟」とはっきり書いてあるのだが、そろいもそろって全員文盲なのだろうか。
だいたいドライバーからして率先して吸っているのだから、そんな禁止事項は全く意味がない。


隣席の人民が今度は窓を開ける。
ああまたか、と憂鬱になる間もなく、カアーっと嫌な音をさせてぺえっと痰を吐く。
この国の人々は、老いも若きもみなしょっちゅう痰をからませては、ぺっぺぺっぺとそこいら中に吐きまくっている。
大袈裟じゃなく、三分に一回くらいの頻度で痰を吐いている。

日本人と中国人は民族こそ違え、身体構造は極めて近しいと思うのだが…。
というか、同じモンゴロイドのはずだ。

なぜにそんなに痰がからむ?


窓の外へ吐くくらいなら、まだいい。
よくないけど、まあいい。
では、通路側の席に座っている人民は吐かないのか。
吐くのである。それも床に。

なぜに、なぜに車内に吐く?
うっかり床に荷物も置けないじゃないか。


そうそう、もうひとつ深刻な問題があった。
それは厠所。下の方の処理の問題だ。
街道脇の厠所は、これはもう想像を絶する世界だ。

男子用トイレでは(おそらく女子も同じだろうが)溝が一本渡してあって、それをまたぐようにしゃがんで用を足す。
三面に一応仕切りはあるが、腰くらいの高さしかない。
というか、一番大事な正面のドアがない。

つまりニーハオトイレなのである。
何がニーハオか?
ケツがニーハオなのだ。
人民の用足しを見学しても、特に心が和んだりはしない。

溝には水を流して汚物を押し流すのだと思う。
多分。
というのは、僕はここに水が流れているところをまだ一度しか見たことがないからだ。
水は、何かしらの奇妙な理由によって常に流れていない。
当然のことながら、溝には人民のてんこがうんこもりに…。
ああ、もうこれ以上書けない。

悪臭なんてものじゃない。
鼻が曲がるという表現は修辞的誇張ではない。
トイレへ入る前は大きく息を吸って、用を足す間中呼吸を我慢する。決して下を見ない。

なぜに、なぜに水を流さない?


ふう。
もううんざりしてきちゃったなあ。
これは純粋に文化民度の問題だろうか?



ただ、誤解しないで頂きたいのだが、僕はこの国が嫌いではない。
確かにひどい目にも大いに遭うのだが、それを一瞬で忘れさせる圧倒的な自然や、建造物や、古式ゆかしい情景が国中にいくらでもある。
他の国とはスケールが違う。

そういうところも全部含めて、中国はとんでもない国なのである。











20:26:14 | ahiruchannel | 3 comments |

14 February

旅人交遊録

タイからラオスへの国境越えのバスで出会ったおじさんの話。

昭和24年生まれの丑年。僕の両親と同い年で、還暦前である。
前歯が二本なく、他の歯も銀歯だらけ。
そのせいか発音がやや不明瞭で、しゃべる言葉は隙間風のよう。
お店で何かをオーダーする時も、店員は彼が何を欲しているのかなかなか聞き取れない。
そんな時には僕が大きな声で復唱してあげなければならない。


さて、このおじさんは何者か?

一目見てカタギではあるまいなあ、と判断する。
あまりにもくたびれているし、旅慣れ、いや旅ずれしているようにさえ見える。
アジアでは(特にタイ周辺では)こういう崩れた感じの年配の旅行者を割によく見かける。
東南アジアが好きで通ってる内に段々と深みにはまり、女を作り、やがては住み着くようになり、観光ビザを更新する為に定期的に隣国へ出かけることを繰り返す。そういった手合いだ。

しかし、お休みで来ておられるんですか?と訊ねる。
一応。儀礼上。全然そんな風に見えなくてもね。
だって普通のいい歳した日本人はバックパッカー用のツーリストバスになんか乗らないですよ。

返って来た答えは…。

いえ、私はね、旅が仕事なんですよ。

まあ。素敵なお言葉。
物でも書いているのだろうか。それとも写真?

いやね、私、虫採ってんですよ。もう30年続けてます。

ほう、虫ですと。
ドクトルマンボウ昆虫記の虫。なんとお珍しい。
マンボウ氏と密かに命名する。

僕は彼と部屋をシェアすることにした。

マンボウ氏はお酒をこよなく愛する。
宿に荷物を降ろしたら早速酒屋を探しに行ったし、焼酎の無料サービスがあるという理由で地元民しか行かないような焼肉屋へ連れて行かれたりもした。
(夕食を終えて部屋に帰って来ても、まだ一人で飲み続けていた)
 
その焼肉屋でのこと。
どこの部位だかまったく怪しい肉をつつきながら、問わず語りに身の上話を始める虫採り男。
グラスを満たす琥珀色の液体は「ラオラオ」という地元の酒だ。
多分米でできているんだろう。
それをちびりちびりとやりながら、虫の話をしてくれる。

氏の狩猟場(というか何というか)は主にインド、中国、そしてアフリカ。
獲物は蝶、トンボ、他にセミなど。
それらを標本にして、蒐集者に売るのが仕事である。

蝶と言っても、土産物屋でみかけるような大きい派手なものではない。
氏に言わせれば、あんなのは「つまんない」ということらしい。
彼が追うのはもっと小さくて地味なものである。
つまり玄人好みの希少種を狙う訳だ。それを学者やマニアに提供して、報酬を得る。


やはり30年も蝶を追っていれば新種を発見したりすることもあるのだろうか?

ありますねえ。全くの新種はひとつですけど。私の名前がついてますねえ。
あとは亜種が4,5種類くらいですか。
何しろヨーロッパ人が植民地時代にほとんどの種を見つけてしまってねえ。
新しいのはなかなか出ないんですよ。


昆虫の蒐集というのは、いわば古本マニアと同じで、まったく一代限りの趣味なのだそうだ。
本人が死んでしまったら、家族にとっては虫などガラクタでしかない。
しかも標本箱というのは出鱈目に大きいものだから、せっかく体系だてて集められた虫たちも二束三文で売り払われて散逸してしまう。
氏も貴重な標本をいくつか持っており、できれば博物館に寄贈したいのだが、どこも満席で受け入れてくれないのだとか。

昔は学者に提供してましたから。
学術貢献しているという自負も少しはありましたがね。
バブルがはじけてからは駄目ですね。大学の教授なんかお金ないもの。
今の客筋は医者とかですねえ。標本マニアのお医者。


マンボウ氏の仕事は時に違法行為となる。
何しろその国の山野に勝手に入って行って、勝手に虫を採っているのだ。
いわば密猟。

捕まったことも何回もありますよ。
刑務所にも入りましたよ。スリランカだったかなあれは。
留置所と裁判所と刑務所をたらい回しにされて、何週間か出てこれなかったですねえ。
地元の新聞とかテレビにも大きく報道されたみたいですよ。
日本の新聞にも小さく載ったらしいけどねえ。


マンボウ氏はいわゆる団塊の世代である。
学生運動には当然深く関わったし、勤めてからは(勤めていた時期があったのだそうだ)組合運動に精を出した。
今でも政治的にはなかなかラディカルな思想を持っている。

そして虫を採り始めて30年余。
気がつけば還暦を迎えるような歳になった訳だ。
繰り返しになるが、我が父母と同じ年に生を受けた人である。
そしてちょうど今の僕くらいの年に虫採りの旅を始めた計算になる。
波乱万丈とは言わないまでも、相当に変わった人生ではある。


今はもう必要な分だけしか採らないですね。
昔は両手にダンボール抱えて日本に帰ったものですけどねえ。
もう無駄な殺生はしたくないんです。
命あるものをこの手で殺めることが段々辛くなってきてね。

退職金なんてないから、70まで勤めてすっぱり止めるつもりです。
子供もみんな独立したし、まあ安心ですよ。
隠居して読書三昧の日々を送るのが夢ですね。

でも旅でおたくみたいな若い人と出会うのが楽しくってねえ。
なかなか止められないかもしれないな。


その日の真夜中。
酩酊してそのまま寝入ってしまったはずのマンボウ氏が突如壁を叩きだした。

おい、ここはどこだ?
俺はどこにいるんだ?

僕はあわてて部屋の灯りをつける。
大丈夫ですか?

僕の顔を見て安心したのか、便所に立つマンボウ氏。
刑務所に入れられた時の夢でも見たのだろうか。


そういえば欠けた二本の前歯は捕まった時に折られたのかもしれないな、とふと思い当たった。










00:02:04 | ahiruchannel | 2 comments |

04 February

健啖なる旅の胃嚢を充たす為に 

僕は陸続きにいろいろな国を訪ね歩くスタイルの旅行が好きなので、いわゆる島国は「どんづまり」として敬遠してきた。
インドネシアやフィリピンなどの海洋アジアにはまだ行ったことがない。

同じ理由で韓国も未訪問国だった。
陸路で第三国へ抜けることが不可能なのはご存知の通り。
いわば陸の孤島だ。
それが今回、シンガポールへ飛ぶ前に数日間母とソウルに遊ぶ機会を得たのだ。

となれば、当然、話題の韓国の食を心行くまで堪能してやろうと鼻息も荒くなるというものではないか。


初日。
ソウルに着いたのは夜も9時過ぎ。
噂には聞いていたが、ちょっと考えられないくらい寒い。
リムジンバスを降りてからホテルにたどり着くまでのわずか数分間で、耳も鼻もぽろんぽろんと取れてしまった。

こりゃ何か温かいものを食べようという事で、震えながら明洞まで行って、目についた最初の店に飛び込む。
後でわかったことだが、この店は日本のメディアでも散々紹介された超有名店。
オモニチプという名前。おふくろの店くらいの意味だろうか?

メニューの一番上に載っていた海鮮鍋を所望。海鮮チヂミも追加。
まず、キムチやナムルなどが乗った小皿がずらっと並べられる。
続いて巨大鍋がもうもうと湯気を立てながら登場。スープがまっ赤っか。
ちょっとでかすぎるんじゃないかという我々の懸念をよそに、巨大チヂミがさらにやってきた。
食べきれるかな?

鍋がいい感じに煮えてきたところで、おばさんがハサミでカニの足やらイカやらをぢょきぢょきと切ってくれる。
赤いスープはさすがに辛いが、意外にあっさり味。
モヤシや白菜が海鮮のうまみをたっぷり吸って美味。
ヂヂミもキムチも大変おいしい。
気がつくと我々は結構な分量を綺麗に平らげていた。

極寒のソウルにこの鍋はこたえられんことじゃのう。



二日目。
ブランチにお粥屋へ。
またしてもキムチやチャンジャの小鉢が並ぶ。
赤いイカの塩辛が大変いける。朝からビールが欲しくなる。
牛肉の醤油漬けは味の濃い佃煮風味。
器は日本の有田焼に近しいとは母の弁。

それにしてもうっかりとキムチのお粥を頼んでしまったのはちょいと失敗。
お粥もキムチ、付け合せもキムチで舌が痺れてしまった。
インドへ行くと何を食べてもカレー味になるが、あれにちょっと近い感じかもしれない。

ところで、朝鮮語も日本語もともに漢語をルーツに持つ言語である。いわば姉妹言語。

地下鉄の駅名にはハングル以外にちゃんと漢字表記も存在する。

ミョンドン→明洞
イチョン→二村

ふむふむ、音から漢字を類推することがなんとなくできる。
ちなみに「カムサハムニダ」の「カムサ」は「感謝」なんだと。
なるほどなあ。
店の売り子さんなどが発するハングルは本当に耳に心地よい。
多分、いらっしゃ〜い、とか、まいどおおきに〜とかそういう他愛ない意味の言葉だとは思うのだが。


夜は百済参鶏湯という店へ。
ソウルに行くと聞いて、皆が異口同音に絶対食っとけえと言ったのが、この「サムゲタン」。
若鶏に米、高麗人参などをつめて煮込んだスープ料理だ。

まずは例によってキムチの小皿が並ぶ。
どこの店でも必ず出てくるこのキムチ小皿は、いわゆる「お通し」なのだな。
ここでキュウリのキムチに初めて遭遇。ぽりぽり。


若鶏は白濁したスープに沈んでいた。
鶏肉もスープも非常にあっさりした口あたり。
ナツメの意外な甘さがアクセントになって面白い。
これ、大変に美味。
薬膳効果も期待できるらしく、参鶏湯を食べていれば風邪などもひかないのだとか。


昨日の海鮮鍋もそうだったが、唐辛子の辛さを除けば、韓国料理は存外あっさり味がベースになっているのかもしれない。
この辺り和食に通底するものを感じる。


三日目。
水源、スウォンという街まで遠足。

立ち寄った駅ビルのフードコートで見たもの。
家族連れが、昼間っからガンガンキムチ食べてます。
我々の隣に座っていた母子は真っ赤なチゲでせっせと白飯を頂いている。
つけあわせは当然キムチ。

そのフードコートのメニューにはハンバーグとか、グリルドチキンとか、そういうウェスタンフードもちゃんと用意されているのだ。
実際ハンバーグを食べる若い女性の姿を見た。
しかし、大方の人間は自国料理とキムチを食べる。
そういう光景を見るとなんだか嬉しくなってしまう。


その日の夜はサムギョプチュナという店へ。
ついこの間まで僕がやっていたバンドのメンバーがお勧めしてくれた「サムギョプサル」という料理を求めてやってきた。

要は豚の焼肉である。
まず、豚の三枚肉と白菜キムチ、大蒜などを鉄板で焼く。
豚に焼き色がついてきた所で、例によってお姉さんがハサミを入れてくれる。
鉄板は斜めに傾いていて、肉汁が流れて四つ角の穴へ吸い込まれていく。余計な脂を流してヘルシーに、という訳だ。

焼きあがった肉片と、キムチ、細切りのネギ、赤い味噌などをサンチュという葉っぱにくるみ、ひと口でほお張る。
熱い!そしてうまい!これはビールがすすむ。

豚肉の脂を流した上に野菜と一緒に食べるものだから、そのしつこさがうまく中和されているのだ。
調子が出てきたのでオーギョプサルという五枚肉を追加。

ついでにビールも追加。
ソウルでは「hite」と「cross」という二つの銘柄にお目にかかったが、僕は後者の方が好みだ。

至福につつまれながら、イルミネーション煌くソウルの街を宿へと歩く。
中心地の広場にルミナリエそっくりの電飾を発見。
電飾に丸く囲まれた広場はアイススケートのリンクになっているのだった。


四日目。
南大門市場の簡易食堂へ。
石焼ビビンバと細麺。

またしてもキムチがずらあっと。キムチ。

尾篭な話で恐縮だが、今朝方、お通じを済ませた後に、僕は個室でしばし考え込んでしまったのであった。

「赤い…」

赤いのである。そりゃ三日三晩キムチを食い続けりゃねえ。


食堂のおばさんが元気に言う。
「キムチのお代わりしていいからね!」

まだキムチを食わせる気か?
白飯じゃなくて、キムチがお代わり自由なのか?


かの椎名誠氏は、インドにおけるカレーは日本における味噌汁のような位置づけにあるのではないかとの仮説を立てた。
であれば、韓国のキムチもまさしくそれに当たろう。

明洞には外資系の飲食店も沢山あり、結構な人でにぎわっているのだが、彼らは毎日毎日ハンバーガーやらリブステーキやらを食べて暮らしているのだろうか?

否。

水源の駅ビルで見た通りである。
朝から晩までキムチばっかり食べているに違いない。

我々日本人が三食味噌汁を飲んでも、それを何十年続けても飽きないように、彼らがキムチに飽くということはないだろう。

ちょっと大仰だけど、文化とはそういうものではないだろうか。

その日のうちに母は帰ってしまったが、僕は一人になっても、決して某ハンバーガーショップなどへは入らず、しっかりとキムチを食べ続けたのだった。


おまけ。
シンガポールへ飛ぶ大韓航空機の中で。
青磁色の制服に身を包んだ美しいアテンダントがこう訊ねる。

機内食はビビンバになさいますか、それとも…

ビビンバ、プリーズ!
即答。

エコノミーの狭いシートで、隣の人にひじをぶつけないように気を使いながら、せっせせっせとビビンバをかき混ぜる。
絵の具みたいなチューブをひねると、真っ赤なコチュジャンが出てきた。

最期まで念の入ったことである。





21:17:18 | ahiruchannel | 4 comments |

02 February

馬六甲

どうも荷物が重すぎるらしい。
重量超過のバックパックと、セミハードケースに入ったギターと、カメラやiPodが詰まったサイドバッグ。
そして電話帳みたいにいかついガイドブック。

これ、フル装備で歩いているとまさに「行軍」という感じ。
三八式歩兵銃、弾薬ベルト、手榴弾、雑嚢、そしてヘルメット…。
どこまでも広がる熱帯雨林。
照りつける太陽、うんざりする温気と湿気。

旧日本軍か俺は?

この「行軍」をしていると、当然歩く速度はぐんと落ちるのだ。
それを計算して行動しないとバスに乗り遅れたりする羽目になる。


その日の朝も、バスターミナルに着いた時にはクアラルンプール行きのバスはとっくに出てしまっていた。
次のバスはあと3時間は来ない。

仕方がないのでマレーシア方面に向かう次発のチケットを買う。
「MELAKA」行き。中国語表記は「馬六甲」。

うまろっこう?
なんだか望郷の念にかられる感じの地名だなあ。

バスは国境を越え、マレー半島をひた走る。
午後も遅くにMELAKAに到着。
車窓からきらきらと陽に照り映える入り江が見えたときに「馬六甲」の読み方がやっとわかった。

そうか。「マラッカ」か。
世界史で習ったマラッカ海峡のマラッカだ。
なるほど、海の向こうはもう、すぐインドネシアという訳か。



夜。
安宿の1階のカフェでコンサートが始まった。
テレキャスターをかついだ枯れた感じのマレー人の中年男が一人。
にやっと笑うとマイルスみたいに見えなくもない。
いや、色が黒くて目つきの悪いところが似てるだけなんだけどね。

マラッカのマイルスと密かに命名する。

マイルス氏、テレキャスで伴奏をつけながら渋い声で歌いだした。
持参のリズムボックスがドラムパターンを刻む。

ギターとリズムだけで、往年のロックンロールの名曲を次々と披露するマイルス。

これは聞かせた。驚くべきことに。

和声の進行は単純だし、どの曲もキーが同じなのだが、そこは職人芸。
同じ事を来る日も来る日も繰り返して、そのパフォーマンスは完全に達人の域に達している。

はっきり言って客なんかほとんどいない。
場末の安宿のカフェに拡大された歌声とギターが響くだけだ。

昔は名のあるバンドのギタリストだったのだろうか。
バンドでは食えなくなって、「営業」するようになって、自分で歌うようになって、流れ流れてマラッカの安宿にたたずむマイルス。
曲が終わっても拍手をするのは僕と、もう一人の客だけ。
それでも渋い笑顔で「thank you!」


もう一人の客は軍人だった。
故郷を離れこの近くに駐屯している。

明日は落下傘をかついで飛行機から降下訓練をするんだよ。
今日は休みで飲みにきてるんだ。
へえ、日本から来たのか。まあ飲めよ。

自分でもがんがん飲みながら、僕とマイルスのグラスにも容赦なくビールを注ぐ軍人。
そんなに飲んで落下傘がうまく開くだろうかと心配になる。


マイルス氏はいわゆる「センイチ」を持っていて、ある程度のリクエストも受け付けるようだった。
僕もセンイチを見せてもらったのだが、歌詞が書いてあるだけ。
コードは全部頭に入っている訳だ。さすが達人。

酔っ払ってテンションの高くなった軍人。
カラオケ感覚で次々とリクエストしては、マイルスのマイクを奪い取って自分で歌い出した。
マイルスも最初は機嫌よく応じていたのだが、段々と軍人の言うことを聞かなくなる。
どうもリクエストには1曲ごとに相応のチップが必要ならしかった。

しまいに怒り出す軍人。
なんだよ、ビールをしこたま飲ませてやっただろ?
俺の好きな曲を演奏してくれたっていいじゃないか!

マイルスは老獪にかわす。
いやいやさっきのあれはサービスだよ。
金を払ってくれないと演奏できないシステムさ。
悪いがこっちも商売でね。


僕はいたたまれなくなってその場を去った。

きっと店からのギャランティなんか雀の涙くらいのものだろう。
客がリクエストしてくれて初めて自身の稼ぎになるのだ。

抜群のパフォーマンスと、軍人をあしらうその姿の乖離には避けがたい悲哀があった。
改めて音楽で食うことの大変さを目の当たりにして、身につまされる思いだった。
よりにもよってこの馬六甲の地で。


翌朝、チェックアウトを済ませて階下に下りるとマイルスが所在無さげに座っていた。
昼間は仕事がないので、宿の客引きでもしているのかもしれない。


ハイ、日本のフレンド。もう行っちゃうのかい?
今度はあんたのギターも聞かせてくれよな。


オーケー。
そしてさよなら、マラッカのマイルス。


18:24:08 | ahiruchannel | 2 comments |